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<HEAD><TITLE>SpiCata　第四話</TITLE></HEAD>

<BODY bgcolor=#ffffff Text=#000000>

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<FONT SIZE=6>
<BR>SpiCata</FONT><BR><BR><FONT SIZE=5>第四話　レイ、その見つめる先<BR><BR>
</FONT>
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<HR>
<CENTER><TABLE BORDER="0" WIDTH=80%><TR><TD>
<BR>
<BR>
　湿った土の匂いが立ちこめていた。<BR>
<BR>
　靴底を通しても、露に濡れた草や落ち葉の感触がはっきりと分かる。道らしい道もない薄暗い森の中で、自分と、自分の後ろについてくる足音のリズムが続く。<BR>
<BR>
　少女は立ち止まり、ちらりと後ろを振り向く。少女は、そこに立っている少年に人間性を感じた事がなかった。人間性の何たるかを理解していたわけではないが、その少年の中に何かが欠けている事は分かっていた。それが何か明確にできない自分にも、何かが欠けているのだろうか。そんな想いを言語化された思考で反芻するには、彼女の心はあまりに幼かった。今はただ曖昧なイメージを心の中に浮かべておくのが精一杯だった。<BR>
<BR>
　少女は少年の瞳を見つめた。少年はこの森の中と同じような、薄ぼんやりした視線を少女の足元に漂わせていた。<BR>
<BR>
　少女は少年の名前を呼んだ。かすれかかった、小さな声だったが、少年がそれを知覚するには十分な大きさのはずだった。<BR>
<BR>
　少年が少女の声に答えることはなかった。<BR>
<BR>
　赤い瞳をわずかに伏せ、少女は再び歩き出した。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　白色に輝く照明が喧噪賑やかなケイジ内部を照らしている。硬い金属製の床の上で、無数の足音が行き来していた。<BR>
<BR>
　汚染防止用として左肩の断面に巻かれた帯状ビニールコートが包帯を連想させた。直立した状態で壁面に固定されたエヴァ零号機は、左腕部を完全に除去されていた。損傷が骨格レベルまで達しており、傷口を塞ぐような通常の再生プロセスでは復元が不可能だと判断されたためだった。パーツ単位での再生を行なうため、左腕だけが別施設に搬送され、そこで処理が行なわれているはずだった。<BR>
<BR>
　工程表と零号機を見比べながら、２人の男性作業員がぼやいていた。彼らは同じ作業服を身に付けていたが、その口調からいわゆる先輩後輩の間柄であることが見て取れた。<BR>
<BR>
「しかしまた派手にぶっ壊したなあ」<BR>
<BR>
「培養槽もフル稼動らしいっすよ。食堂で七課のチーフが死にそうな顔してました」<BR>
<BR>
「こりゃ寝てる暇もないわな」<BR>
<BR>
「あの、こないだから気になってたんですけど、あの切断面って、ひょっとして……」<BR>
<BR>
「かもしれんが、何も考えるな」<BR>
<BR>
　後輩に指摘されるまでもなく彼も気付いていた。再生という作業の為には、破壊の知識もある程度必要とされる。一般的な兵器について最低限の知識を一通り持っているのは、ここの職員として当然だった。<BR>
<BR>
　味方の兵器が、オレンジ色の巨人にその無惨な傷跡を刻み付けたという可能性。それが痕跡からはっきり読み取れるとしても、その是非を問う暇も権利も彼らには無かった。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　画面の中で最も大きなスペースを占めているウィンドウで、色とりどりのグラフが水平方向にスクロールしている。ディスプレイの隅に小さく開かれているウィンドウでは、シートに無表情のまま座る少年の姿が映し出されている。その映像に、赤いジャケットを着た女性が体をばたばた泳がせながらフレームインしてきた。<BR>
<BR>
　そこで映像は一時停止する。それに同期して、グラフ群の水平スクロールも停止する。グラフウィンドウの中央を縦に貫く黄色いラインが、その映像が記録された瞬間の状態を示していた。<BR>
<BR>
　その黄色いラインを境に、それまでのグラフに比べて２、３のラインが目に見えて下降線を辿っている。<BR>
<BR>
「ここですね。この時点から、ノイズによる信号の散乱が増えています。この状態でこれだけの動きを見せている初号機も興味深いんですが」<BR>
<BR>
「やはり、プラグ内に異物があるとシンクロ効率は一気に落ちるわね。何とかしたいけど、今の所打つ手無しか……」<BR>
<BR>
　ネルフ本部内技術部棟の端末室、赤木リツコと伊吹マヤの２人が椅子を並べて液晶ディスプレイに見入っている。現在、部屋にはこの２人だけしかいない。彼女達は、先の戦闘で記録されたエヴァの動作履歴の解析作業を行なっていた。特に、葛城ミサトが自ら初号機のエントリープラグに飛び込んだ瞬間のデータは、いくつかの点で重要視されていた。<BR>
<BR>
「ドイツ支部もタンデムエントリーの試験、難儀してるって噂ですしね」<BR>
<BR>
「抱えてる適格者がたった１人じゃ、できる事も限られてるのよ。うちで引き継ぐにしても、ドイツがデータ出し渋るのは目に見えてるし。第一、こっちは使徒迎撃に手一杯でそんな暇は無いわ」<BR>
<BR>
　やれやれ、といった仕草で椅子に座ったままくるりと半回転するリツコ。そのまま身を乗り出してテーブルの上のコーヒーカップを取り上げ、中身に口をつける。ぬるいコーヒーを味わいながら、端末室を見渡す。電源の落ちた端末と空の椅子だけがずらりと並んでいる。普段ならもう少し人がいるものだが、皆あちこち走り回っているのだろう。使徒との戦いが始まって以来、技術部員１人１人にかかる負荷が大きくなっていた。<BR>
<BR>
　映像の中で一時停止させられ続けているミサトの姿をじっと見ていたマヤが、リツコの方に振り返った。<BR>
<BR>
「先輩、葛城さんって、どういう人なんですか。同じ大学って聞きましたが……」<BR>
<BR>
「見た通りよ。自分勝手だけど、結果は出すタイプ」<BR>
<BR>
「子供を傷つけても、ですか」<BR>
<BR>
「そういう言い方、感心しないわよ」<BR>
<BR>
　口をへの字にしてむくれるマヤを見て、この子供っぽい所さえ抜ければいいのにと、リツコはため息をついた。<BR>
<BR>
「大体、どうしてシンジ君は葛城さんにだけ……んむっ」<BR>
<BR>
　マヤの唇に当てられたリツコの指が、その先を言う事を許さなかった。この場所で話していい話題ではなかった。碇シンジがミサトの命令にのみ実効性のある反応をする、という事実は相変わらず極一部のスタッフ間だけの秘密だった。<BR>
<BR>
　リツコはマヤの唇に当てていた指を離した。その手をそのままマヤの頬をなでるように動かす。戸惑う表情を見せるマヤの耳元に顔を近付けたリツコの息遣いが、彼女の耳朶をくすぐる。囁くようにリツコは言葉を紡いだ。<BR>
<BR>
「ここじゃダメよ。誰が聞いてるか分からないわ」<BR>
<BR>
　間近で見るリツコの艶っぽい顔に見とれたマヤの頬が少し赤らむ。リツコも、今の２人の体勢にはっと気付き、気まずそうな顔で体を離そうとした。２人ともその方面の趣味はないのだが、流石にこの体勢では妙な意識をしてしまう。<BR>
<BR>
　その時、端末室のドアが開いて、日向マコトが手元の書類に視線を固定したまま部屋の中に入ってきた。<BR>
<BR>
「すいません、赤木博士いらっしゃいますか？初号機のインタフェース仕様変更の件なん……」<BR>
<BR>
　日向の目が点になった。部屋の中、２人きりで密着した体勢のリツコとマヤ。しかもリツコの唇がマヤの首筋か耳元の辺りに触れようとしている。見てはいけない光景を目の当たりにし、３秒ほど完全停止していた日向が我に返った。<BR>
<BR>
「ししし失礼しました……」<BR>
<BR>
　日向がザリガニのように勢い良く後ずさり、部屋から飛び出していった。ドアがあっという間に閉じる。どんな妄想が日向の頭の中で渦巻いたのかを察したリツコとマヤの背中に、冷や汗が流れた。<BR>
<BR>
「ち、ちが、きゃっ！」<BR>
<BR>
　誤解だ、と日向を引き止めようとしたマヤとリツコが慌てて立ち上がろうするが、マヤが足をもつれさせてバランスを崩した。彼女はそのままリツコの方に倒れ込み、２人は床の上に転がった。<BR>
<BR>
　リツコの豊満な胸に顔を埋める格好になったマヤが、泣きそうな表情でリツコを見る。<BR>
<BR>
「せ、せんぱいー」<BR>
<BR>
　子供をあやすようにマヤの頭を撫でながら、リツコはため息をついて天井を見上げた。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　大型重機の上げる駆動音が閉じた空間で反響する。組み上げられた足場の上を作業員が忙しそうに駆け回っている。『それ』を覆い隠すように四方に設置された壁、そして屋根。森の中にぽつんと建つ急造の研究施設は、休むことなく活動を続けていた。<BR>
<BR>
　ジオフロント内部、人工森林に横たわる使徒の残骸は注目の的だった。人類が触れた事のない物体、生物か非生物かもはっきりとしないその物体は人々の興味を大きくかき立てていた。<BR>
<BR>
　残骸を外界から遮断するように設置されたプレハブ研究所の内部には、照明不足を補うための投光機が多数稼動している。その光が照らす使徒の体はあちこちに穴や窪みが生じて、虫に喰われた果物のようだった。<BR>
<BR>
「かなり劣化が進んでるみたいね」<BR>
<BR>
　ミサトは、大きめのヘルメットの縁を指で持ち上げて視界を確保した。見上げる先、使徒の周囲を囲む縦横に組まれた足場がまるで檻のようだった。彼女の横についている日向がレポートを見ながら答える。<BR>
<BR>
「使徒の『細胞らしきもの』の崩壊速度が異常に速いという事です」<BR>
<BR>
　ミサトは天井を見つめ、その屋根の向こうでぱっくりと口を開けているはずの大穴を思い描いた。<BR>
<BR>
「天蓋装甲の修復作業は？」<BR>
<BR>
「装甲板そのものについては、今週中に穴は塞がります。使徒の衝突余波で破壊された都市設備は……およそ２週間で再配備可能なレベルに持っていけます」<BR>
<BR>
　幾重にも連ねた特殊装甲を、いとも簡単に掘り抜いた使徒の姿がミサトの脳裏にフラッシュバックした。<BR>
<BR>
「あんな風にあっさり突破されると、今後の迎撃プランにも影響出ちゃうわね」<BR>
<BR>
「ジオフロント内部での戦闘を重点的に考慮しますか？本丸背負って戦うのは抵抗ありますが」<BR>
<BR>
「とりあえず、スケジュールに余裕が出るまではエヴァの運用でカバーしましょう。今は上も下も十分に、ってわけには行かないわ」<BR>
<BR>
　ミサトのポケットから呼出し音が流れた。反射的に手をポケットに滑らせ、１コール目が鳴り終える前に携帯の通話スイッチを入れる。<BR>
<BR>
「はい、葛城……はい。ええ……分かりました。すぐに参ります」<BR>
<BR>
　通話を終えてスイッチを切ったミサトは、携帯を見つめて黙り込んだ。やがてミサトは顔を上げて唇をきゅっと結ぶと、ヘルメットを外して日向に押し付けた。<BR>
<BR>
「日向君。私ちょっと用事があるから、あとお願い」<BR>
<BR>
「は、はい」<BR>
<BR>
　ミサトは、そのまま使徒解体の現場に背を向けて歩き出した。２、３歩進んで、ちらりと後ろの使徒の残骸を振り返る。息を吐き出して彼女は再び歩き出した。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　薄暗く細いチューブ状の空間の中、ベルト状の床が流れている。床を構成する板状パーツ同士の噛みあう音が複雑に反響する。<BR>
<BR>
　ネルフ総司令、碇ゲンドウはネルフ本部施設内部を網目状に繋ぐ自走通路の上にいた。彼の斜め後ろにはリツコが立っている。目の前に近付いて来たシャッターが開き、２人の体は明るいオープンスペースへと出た。気圧差による突風が、リツコの髪と白衣をはためかせる。<BR>
<BR>
　ゲンドウがおもむろに口を開いた。<BR>
<BR>
「使徒の解体分析はどうなっている」<BR>
<BR>
「進んでいます。場合によっては葛城仮説を部分的に補強できるかと」<BR>
<BR>
「そうか」<BR>
<BR>
「ドイツとアメリカからコアのサンプルを一部引き渡せと、要請が来ていますが」<BR>
<BR>
「構わん。回してやれ」<BR>
<BR>
「はい」<BR>
<BR>
　進行方向のシャッターが開き、２人の体はその奥に呑み込まれる。再び狭いスペースに入り、自走通路の動作音が低くこだまし始める。リツコの耳には、ゲンドウの声も微かに低くなったように思えた。<BR>
<BR>
「チルドレンの様子はどうだ」<BR>
<BR>
「変わりありません。スケジュールを滞りなく消化しています」<BR>
<BR>
「そうか。ならばいい」<BR>
<BR>
　体を運ばれる速度が緩やかになり、自走通路の終端が見えて来た。乗降ポイントとして推奨されている箇所の床は、低速で流れるように設定されている。ゲンドウとリツコは慣れた動作で手すりに触れる事もなく、大地に固定されたごく普通の床へ歩み出した。<BR>
<BR>
　ゲンドウはいくつかのドアをＩＤカード、指紋認証で次々と開け、リツコがその後に付き従っていく。最後の扉、司令執務室に通じるドアが開き、ゲンドウの後ろから入室したリツコは部屋の中に２人の人物の影を見た。<BR>
<BR>
　応接用のソファに向かい合うように腰を落として、湯飲み茶碗から茶をすする冬月コウゾウと葛城ミサトは、互いの存在をまるで気にしていないようだった。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　この作られた空は、青ではなく乳白色に輝いていた。<BR>
<BR>
　Ｔシャツと白のジャージパンツという格好で立っている山岸マユミは、手で光を遮りながらジオフロントの天井をまぶしそうに見つめた。天井一面に幾何学的な模様を構成している採光ユニットの一部、使徒によって穿たれた穴がある場所には作業用の足場と落下防止用ネットが組まれている。<BR>
<BR>
　子供達の歓声で、マユミははっと意識をグラウンドに戻した。授業中にぼんやりしていた自分の頭を、握りこぶしで軽く小突いた。<BR>
<BR>
　初等部４年生が体育の授業で行なっているポートボール。今はチーム毎に自由練習をする時間だった。３、４人ずつの班に分かれて、ドリブルやらシュートやら子供達は元気に動き回っている。それほど広くもなく、ただ地面を馴らしただけのグラウンドだったが、この小さな学校には十分すぎる物だった。<BR>
<BR>
　マユミは校舎の方に目を向けた。グラウンドと校舎を隔てるように一列に植えられた樹木。その一つの木陰に、少年と少女が膝を抱えて静かに座り込んでいる。運動の類は避けさせるようにというネルフからの指示のため、この時間の２人の場所は常にこの定位置だった。貴重な人材に怪我でもされたら困るのだろうな、とマユミは思っていた。<BR>
<BR>
（あら）<BR>
<BR>
　ふとマユミは、パスの練習をしている一つのチームが妙な動きをしているのに気付いた。半端に余った男子２人について、人数合わせの為ならと１人の少女が進み出て構成された、男子２人女子１人の混合チームだった。<BR>
<BR>
　異性を意識しても不思議では無い年頃にも関わらず、少女にこのような行動を取らせたのは彼女持ち前の責任感からか、あるいは自分がクラス内で割を食うべき立場の役職だから、ということにかこつけた個人的動機なのかは、言わぬが花だった。<BR>
<BR>
　マユミはそのチームの動きをさりげなく観察した。本人達は自然な動きのつもりだったのかも知れないが、パスの軌道を少しずつずらしながら、木陰に座る２人の方に近付いていく行動は、マユミから見れば挙動不審そのものだった。<BR>
<BR>
　何か期待と共に不安のようなものを感じたが、特に咎める理由もなかったのでマユミは彼らの行動をただ見守ることにした。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　小気味良い音を立てて、ボールがトウジの手に収まった。彼はボールを投げながら、横目でシンジとその隣の綾波レイを見下ろした。<BR>
<BR>
「おう、転校生」<BR>
<BR>
　トウジの不躾な挨拶に、ケンスケとヒカリが困ったような顔を見合わせる。トウジに引きずられるような形でここまで来てしまった２人は、ボールの受け渡しを続けつつ不安げな顔で周りを見回す。ケンスケとヒカリが、トウジに呼び掛けた。別にやましいことは無いのだが、何故か他の子供達には聞こえないよう低く抑えた声だった。<BR>
<BR>
「おいトウジ、やっぱりやめようぜ」<BR>
<BR>
「もう……ちょっと、鈴原ぁ」<BR>
<BR>
　そんな２人に構う様子も見せず、トウジは黙々とボールを投げ、再び受ける作業を繰り返しながらレイの方を見る。レイも顔をわずかに上げると、トウジの方に視線を向けた。<BR>
<BR>
「何でお前ら、いっつも見学なんや？授業中もボーッとしとるだけやろ」<BR>
<BR>
　レイは至って簡潔に答えた。<BR>
<BR>
「そうしろと言われたから」<BR>
<BR>
　トウジがやや強めにボールを放る。手のひらに当たるボールの衝撃にケンスケが顔をしかめた。<BR>
<BR>
「どっか病気なんか？」<BR>
<BR>
「いいえ」<BR>
<BR>
　トウジは、レイの隣に座るシンジをアゴで示した。<BR>
<BR>
「なんでこいつ、誰とも口利かへんのや？」<BR>
<BR>
「分からない」<BR>
<BR>
　ヒカリがどことなく不機嫌そうな顔で投げた、強いボール。無造作にそれを受け止めたトウジは、ボールを持ったまま手を下ろし、目を丸くしてレイの方を向いた。<BR>
<BR>
「分からんって……お前ら、ずっと一緒におるやん」<BR>
<BR>
　答えるまでに少し、間が空いた。<BR>
<BR>
「私、この人と話、したことないもの」<BR>
<BR>
　簡単には信じにくい答に、トウジは少し考え込む。少女の赤い瞳が微かに震えたような気がしたが、それもどんな意味なのかトウジには分からなかった。<BR>
<BR>
「……お前も、あのでっかいロボットと関係あるんか？」<BR>
<BR>
　トウジの質問で、ヒカリの目には怯えの色、そしてケンスケの目には好奇心が浮かんだ。３人は息を殺してレイを見つめる。彼女は視線をトウジから逸らし、足元に落とすと静かに答えた。<BR>
<BR>
「言えない」<BR>
<BR>
　トウジは、シンジとレイを交互に見た後、ボールをあさっての方向に放り投げた。ケンスケは自分の頭上を越えていくボールも気にせずに、シンジとレイの方をじっと見ている。ヒカリは手持ち無沙汰に立ち尽くしたまま、不安げな視線をトウジとレイの間に向けていた。<BR>
<BR>
「さよか。変なこと聞いて、すまんかったな。じゃ、わしら、行くわ」<BR>
<BR>
　トウジはそう言い、残りの２人を促して元の場所に戻っていった。<BR>
<BR>
　レイは人形のような冷たさを持つ赤い視線で、隣に座る少年をちらりと見た。そこにいつもと変わらぬ、意志の欠片すら感じられない表情を確認すると、彼女は視線を自分の足元に戻した。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
「で、何か御用でしょうか」<BR>
<BR>
　茶を飲み干したミサトは、ゲンドウのデスクの前に立っていた。リツコは、ミサトから少し下がった位置に立っている。ミサトは顔の前で両手を組んだゲンドウの表情を、さりげなく観察する。<BR>
<BR>
（息子の方とは、別の意味で読み辛い顔ねえ）<BR>
<BR>
　彼女の質問に答えたのは、ゲンドウの脇に立つ冬月だった。<BR>
<BR>
「今後の方針を話し合おうと思ってな」<BR>
<BR>
「はあ」<BR>
<BR>
「１５年前……南極での事は赤木博士から聞いたかな」<BR>
<BR>
「ええ。一応は」<BR>
<BR>
　我ながら白々しい受け答えだと思いつつ、ミサトは冬月の次の言葉を待った。<BR>
<BR>
「何と言うか、正直我々も苦しい台所事情でな。助けの手は一つでも多い方が嬉しい」<BR>
<BR>
「お察しします」<BR>
<BR>
　話がどこに流れていくのか首をかしげつつ、ミサトは軽く頷いて同意を示した。冬月はミサトから視線を外すことなく、語り続けた。<BR>
<BR>
「自分がサードチルドレンに対し、実用的な意味で『支配力』を行使できる唯一の人間だ、という自覚はあるだろうね？」<BR>
<BR>
「……それなりに」<BR>
<BR>
　シンジの心が『正常』になれば自分が用済みになるであろうことも、とミサトは心の中で付け加える。<BR>
<BR>
　その心の声を聞いたかのようなタイミングで、ゲンドウが初めて口を開いた。<BR>
<BR>
「君は、何を望むのだ」<BR>
<BR>
　眼鏡の奥から突き刺すような彼の視線を、ミサトは無表情のまま受け止める。威圧の類に対する免疫は十分に持ち合わせていた。自分の背後にいるリツコの存在を意識しながら、ミサトは迷う事なく答えた。<BR>
<BR>
「あの日の真実を。誰かの言葉によってでは無く、自分自身の目で確かめる事を」<BR>
<BR>
　司令執務室の空気が動きを止めた。ミサトはゲンドウと視線を合わせたまま、沈黙を保った。ゲンドウがわずかに顔を動かし、レンズに反射する光が彼の瞳を他者から隠した。止まった時間を再び動かしたのは、冬月の声だった。<BR>
<BR>
「信じてもらえないだろうが、赤木博士が知っている以上のことは私も碇も知らんのだ」<BR>
<BR>
　息を継いで、冬月は視線を窓の外に向けた。何かを思い出すように目を細め、彼は言葉を続けた。<BR>
<BR>
「ただ一つ確かなのは、アダムがある限りサードインパクトの危険は決して消えん。我々は何としてでもあれを無力化せねばならん。それが君の御父君の願いでもあると、私は信じている」<BR>
<BR>
　ミサトは思わず笑みが浮かびかけた口元を引き締めた。<BR>
<BR>
（……復讐心をくすぐってるつもりなのかしら。安く見られたもんだわ）<BR>
<BR>
「現れる使徒を全て排除し、やがてはアダムそのものを、と我々は考えている。その為にはエヴァが、チルドレンが必要だ。ネルフに不審を抱く心情も理解できるが、我々には君が必要なのだよ」<BR>
<BR>
　ミサトは大した感慨も無く、冬月の言葉を聞き流していた。彼女の経験上、耳触りが良い言葉には態のいい警告の意が含まれているのが常だった。<BR>
<BR>
「出来る限り便宜は図ろう。データバンクにおける君のアクセス権を上げておいた。私や碇と同等の権限と考えていい。欲しい情報があれば好きに見たまえ……他に要望はあるかな？」<BR>
<BR>
　暗に示された妥協案の価値を計り、これが現段階で引き出せるギリギリの譲歩だろうと、彼女は納得した。切っ掛けがあれば、即座に切り捨てられる自分の立場は理解しているつもりだった。今ある手持ちのカードだけで勝負をかけるほど、ミサトは無謀では無かった。<BR>
<BR>
「いえ、今は特に」<BR>
<BR>
「では、以上だ」<BR>
<BR>
「失礼します」<BR>
<BR>
　ミサトはゲンドウと冬月に背を向けた。リツコとすれ違う時も、彼女は目を合わせなかった。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　第３新東京市が薄暮に満ちると同時に、ジオフロントも闇の兆しに包まれ始めた。徐々に光量が絞られていく地下空間の中、緑の森も黒く染められて行く。<BR>
<BR>
　司令執務室の巨大な窓ガラスを通して、冬月は夜へと移りつつあるジオフロントを眺めていた。リツコもミサトが退室して間もなく仕事に戻っており、この部屋には彼とゲンドウだけが残っていた。いつもの姿勢で座るゲンドウに背を向けたまま、冬月は言った。<BR>
<BR>
「碇、彼女は危険だ」<BR>
<BR>
「安全な人間は、単なる無能とも言える」<BR>
<BR>
　意図的に論点をずらしたゲンドウの答に、冬月は闇へと染まりつつある森をどこか眩しそうな目で見つめた。<BR>
<BR>
「彼女を真実に近付けるつもりも無かろう。有能かつ無知な人間は始末に負えんぞ」<BR>
<BR>
「弐号機が届いたとしても、保険としてサードは必要だ。つまり、彼女も必要だ」<BR>
<BR>
　背後の男の気配を確かめるように、冬月がわずかに首を傾けた。<BR>
<BR>
「赤木博士はサードチルドレンの制御に失敗する、そう思うのか」<BR>
<BR>
「さあな。どう転んでもシナリオに影響は無い」<BR>
<BR>
　冬月は振り向いてゲンドウの表情を探ったが、いつもと同じくそれは無駄な行為だった。ゲンドウを見下ろしたまま、冬月は再び口を開いた。<BR>
<BR>
「弐号機の移動予定を繰り上げたのは、葛城一尉をリスク要因と見たからではないのか」<BR>
<BR>
「元々ドイツにエヴァを置いておく根拠が無い。向こうから内密に打診もあったしな」<BR>
<BR>
「使徒が続けざまに２体現れて、慌てて厄介払いに走ったか」<BR>
<BR>
　冬月が苦笑する。ゲンドウも冷笑まじりの口調で答えた。<BR>
<BR>
「エヴァの運用ノウハウもドイツに一日の長がある。せいぜい利用させてもらうさ」<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　照明が最小レベルにまで落とされた室内は薄暗く、そこに集まった人々の息遣いや衣擦れの音を実際よりも大きく感じさせる。第一検討室に集められた作戦部と技術部の十数人が、テーブルを兼ねた大型モニタを囲んでいた。モニタの光が皆の表情を下から照らし出している。テーブルの表面には、二つのウィンドウが表示されている。それぞれ、使徒と組み合う零号機、使徒をプログナイフで切り刻む初号機の映像が投影されていた。<BR>
<BR>
　リツコがテーブルの正面に立ち、淡々とコメントを続けている。<BR>
<BR>
「エヴァの『能力の限界』を算出する方法は確立されていないわ。人間のそれが未解明なのと同じ理由よ」<BR>
<BR>
　映像が戦闘終了直後、地面にぐったりと横たわる使徒のアップに変わった。<BR>
<BR>
「とは言え、今のエヴァが予想を大幅に超えるパフォーマンスなのは確かよ。特に初号機。前回の戦闘ではプラグ内に異物が入っていたにも関わらず、瞬間的には使徒を遥かに圧倒する出力を記録したわ」<BR>
<BR>
　感嘆の意を含んだざわめきが静かに広がった。希望を抱いた表情で、やや力強く頷きあう者もいる。<BR>
<BR>
　ミサトは体の前で両腕を組んだまま、真剣な表情で画面に見入っていた。彼女はリツコの方に目を上げると、油断ない口調で問う。<BR>
<BR>
「過去２回の戦闘を踏まえた上での技術部の方針は？」<BR>
<BR>
　リツコの目配せを受けて、マヤが喋り始めた。<BR>
<BR>
「まず、ＭＡＧＩとエヴァの連携で改善できる部分があります。主に運動制御の最適化ですね。２度の実戦によるデータ蓄積で問題点がクリアになりました」<BR>
<BR>
「エヴァはもっと強くなるってこと？」<BR>
<BR>
　訝しげなミサトにリツコが答える。<BR>
<BR>
「適切な運用がなされれば、ね」<BR>
<BR>
　モニタの映像が切り替わった。幾何学的なパターンを持つオレンジ色の半透明な壁を突き抜けるプログナイフがアップになる。マヤの声がそれに続く。<BR>
<BR>
「もう一つ、ＡＴフィールドの機構についてですが、技術一課からいくつか仮説が提出されています。ファーストチルドレンと零号機を使って検証作業を行なう予定です」<BR>
<BR>
　シンジを使わない理由をミサトがわざわざ問う事は無かった。彼女は別の疑問を口にした。<BR>
<BR>
「使徒の、その……『生態』についてはどう？」<BR>
<BR>
　リツコが白衣のポケットから手を出して頭をかいて、ため息をついた。<BR>
<BR>
「残骸の分析は進めているけど、芳しく無いわ。既知のどんな生物にも類似していない事だけは確かね」<BR>
<BR>
「……そう」<BR>
<BR>
　その後、通常兵器とエヴァの相互支援案について、作戦部と技術部の間で質疑応答が交わされた。会合が終わり部屋が明るくなる。三々五々、人が退室していく中でリツコがミサトに声をかけた。<BR>
<BR>
「ミサト、ちょっと残ってくれる」<BR>
<BR>
　既にこの部屋にはミサトとリツコの２人だけしか残っていなかった。ミサトはテーブルの上に腰を乗せると、足を宙でぶらぶらさせつつリツコの様子を見た。リツコは両手を白衣のポケットに突っ込み、こちらをじっと見つめていた。<BR>
<BR>
「あら、リツコ……またご機嫌斜めみたいね」<BR>
<BR>
「あなたのせいよ。職権乱用でしょう、これは」<BR>
<BR>
「……どれ？」<BR>
<BR>
　リツコは、取り出した書類をテーブルの上に叩き付けた。<BR>
<BR>
「山岸マユミ名義で、本部直通のパス発行させたでしょう」<BR>
<BR>
　しばらくリツコの顔を見つめて考え込んでいたミサトの表情がぱっと明るくなる。<BR>
<BR>
「あー」<BR>
<BR>
「『あー』じゃないわよ。何考えてるのよ」<BR>
<BR>
　ミサトが手を振ってリツコをなだめながら、にこやかに答える。<BR>
<BR>
「いや、山岸さんが家庭訪問したいって言うから。シンジ君とレイの住居って本部の中でしょ。パスが無いと入れないじゃん」<BR>
<BR>
「ここが機密保持にどれだけ神経使ってるか分かって言って……『家庭訪問』？」<BR>
<BR>
「うん」<BR>
<BR>
　２人は互いに顔を見合わせ、少しの間黙りこくった。自分の耳を信じられないリツコが、恐る恐る口を開く。<BR>
<BR>
「聞いてないわよ」<BR>
<BR>
「言ってないもの。あ、気にしなくていいわよ。アンタ忙しそうだから、私が立ち会っとくわ」<BR>
<BR>
　リツコの声が徐々にとげとげしくなっていく。<BR>
<BR>
「あの子達に『家庭』なんて存在しないわ。大体、チルドレンの情報は極秘扱いよ。話す事なんて何もないでしょうに」<BR>
<BR>
　リツコの中で高まりつつある憤りにも動じず、ミサトは肩をすくめただけだった。<BR>
<BR>
「山岸さんは『私達と』話がしたいんでしょうね。子供達の為に。まあ、そういうもんでしょ、家庭訪問って」<BR>
<BR>
　リツコの顔が怒りから呆れへと変わるのを見ながら、ミサトは滔々と語り続けた。<BR>
<BR>
「若さもあるんでしょうけど、見た目より押しが強いわね、あの先生。子供達のことを真剣に考えてるわ……私達よりも、よっぽどね」<BR>
<BR>
「そんな理由で、部外者の本部施設への入館を許すわけ？」<BR>
<BR>
　テーブルの上で座り直してその表情をやや真剣にしたミサトは、人さし指を立てて自分の言葉を強調する。<BR>
<BR>
「山岸さんには、初号機から降りて来るシンジ君を見られてるのよ。変に勘ぐられて余所で騒がれても困るでしょ、機密保持の観点からもね」<BR>
<BR>
　釈然としないリツコに微笑みかけると、ミサトは足を振り上げ、勢いをつけてテーブルから床に降り立った。彼女は腰に手を当ててリツコに背を向けた。ミサトは顔だけを振り返らせると、自分の肩ごしに静かに言った。<BR>
<BR>
「この件については私の責任でやらせてもらうわよ。ある程度の事実は教えても構わないと思ってる。チルドレンの精神的ケアの助けになるかもしれない」<BR>
<BR>
　ミサトが言う『チルドレン』には、恐らくシンジが含まれていないことを、リツコは敏感に感じ取った。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　早朝、ジオフロント入場ゲートから住宅地域へ向かうリニアレールの車内は人影もまばらだった。迎撃施設だけで構成された都市。それを囲むように走る列車の窓から見える、朝日を照り返すビルやその向こうの山林。眩しい景色が徹夜明けの彼らの目に痛かった。<BR>
<BR>
　偶然にも夜勤明けの重なった日向、マヤ、青葉が並んで座席についている。デニムのジャケットを羽織った青葉と、縦にストライプの入った半袖開襟シャツの日向。その２人の間にマヤがちょこんと座っている。<BR>
<BR>
　足の間に立てたギターケースを愛おしそうに撫で回す青葉を、日向が胡散臭そうな目で見ている。本人の性格を忠実に反映した、機能的なパンツルックに身を包んでいるマヤが、体を半身にして背後の窓から見える風景をぼんやりと眺めていた。<BR>
<BR>
　ぽつりとマヤが呟いた。<BR>
<BR>
「私達、何やってるんだろ」<BR>
<BR>
　マヤの頭越しに顔を見合わせた日向と青葉が、同時に首を傾げた。ギターケースを抱きかかえる体勢で、マヤの顔を覗き込む青葉。彼女はその可愛いらしい顔には余り似合わない、難しい表情を浮かべていた。<BR>
<BR>
「今の私達って、なし崩しに……戦って、その……」<BR>
<BR>
　口ごもるマヤの言葉を、日向が抑えた声で先回りした。<BR>
<BR>
「……殺してしまった？」<BR>
<BR>
　マヤの体が、ぴくりと強張る。座席にもたれかかった青葉は、天井の吊り広告に目をやりながら、少し声のトーンを落とした。<BR>
<BR>
「確かに後味は良く無いけどさ。どうしようもないだろ、『アレ』は」<BR>
<BR>
　日向も頷く。<BR>
<BR>
「なあ。友達になるにはちょっと敷居が高いよ、『アレ』は」<BR>
<BR>
　本部の外で『使徒』などの直接的な単語を使う事を避けるのは、彼らにとって既に身に染み付いた習慣だった。膝の上に置いたマヤの両手が、きゅっと握られる。彼女は外に向けていた顔を戻して伏し目がちになると、ぽつぽつとした口調で続けた。<BR>
<BR>
「シンジ君の事だってそうよ。どう育てられたらあんな風になるの？あれじゃただの……ロボットじゃない」<BR>
<BR>
　曲がりなりにも使徒迎撃の最前線を張っているこの３人は、一般的な基準よりも高い判断力と洞察力を持っている。２度の使徒戦を経験する中、ミサトとシンジの不自然な主従関係には、薄々気付き始めていた。もちろん、はっきりと知らされていたわけではなかったが。努めて気楽な口調を意識しながら、日向が言った。<BR>
<BR>
「事情は分からないけどさ、なんて言うか、必要な処置じゃないのかなあ。まともな子供の感性じゃ、あんな仕事はパニクるだけだろ？」<BR>
<BR>
　マヤは黙りこくったまま、自分の膝に目を落としている。<BR>
<BR>
　車体に緩やかに制動がかかる。列車が滑るようにプラットホームへと進入し、さらに速度を落とした。マヤは無言のまま立ち上がり、扉の前に進もうとする。<BR>
<BR>
　青葉の前を通り過ぎる時、彼が少し堅い口調で言った。<BR>
<BR>
「罪悪感を持つのは構わないけど、仕事には引きずるなよ。俺達が一手ミスるだけで人類滅亡かもしれないんだぜ」<BR>
<BR>
　列車が完全に停止した。扉が開き、ホームの喧噪が車内に流れ込んで来る。通勤客が徐々に増えはじめる時間帯だった。<BR>
<BR>
「……分かってる」<BR>
<BR>
　マヤは一言だけ呟き、ホームへと歩み出た。彼女と入れ違いにスーツ姿のビジネスマンや学生風の乗客が車内にどっとなだれ込み、マヤの姿はあっというまに人波の向こうへ消えた。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
「まず最初に確認しておきますが、ここでなされた会話は例外なく全てが秘匿事項となります。ここで得られた情報をいかなる形であれ外部に漏らした場合、もしくは漏れたとみなされる場合、ネルフはあなたに対して特務権限に基づいた措置を行なう可能性があります」<BR>
<BR>
「はい。理解しています」<BR>
<BR>
　マユミの返事を聞いたミサトは固く引き締まった表情を一変させ、にっこりと笑った。<BR>
<BR>
「ま、今のはお約束みたいな物だから。ここにいる間は楽にしてね」<BR>
<BR>
　ミサトは紅茶をマユミの前に置きながら、自分もカップに口をつけた。<BR>
<BR>
　マユミは室内の様子をさりげなく見回した。ミサトの執務室、と説明されたこの部屋はよく整頓されていた。ガラステーブルを挟んでソファに向かい合わせに座る女性は、ネルフの上級幹部らしからぬ気さくな雰囲気を持っていた。<BR>
<BR>
　おずおずと、マユミは切り出した。<BR>
<BR>
「あの」<BR>
<BR>
「はい」<BR>
<BR>
「今日は、碇君と綾波さんはどちらに」<BR>
<BR>
「お仕事。ここに呼ぼうかとも思ったんだけど、ね。忙しいのよ、あの子達も」<BR>
<BR>
　マユミの目から見る限り、ミサトが何かを誤魔化そうとする素振りは感じられなかった。突っぱねられるとばかり思っていた『家庭訪問』の申し出を、ネルフ……というかミサトが快諾したのも、マユミにとっては意外な展開だった。シンジ達の『担任』だから、という理由にしては好待遇に過ぎる気がした。<BR>
<BR>
　全ては巧妙な芝居なのかも知れないが、今はその好意に乗じようと、マユミは肚を決めた。<BR>
<BR>
「２人は、ここで、その……何を」<BR>
<BR>
「極めて特殊な作業に従事してるわ。彼らの適性……体質と言ってもいいわね、そういう物が深く関わっている分野なの。他の人間が代わりを務めるのは無理、と私は聞いてるわ」<BR>
<BR>
　実にあっさりとした口調だった。どんな重要機密でも、質問すればあからさまに答えてくれるのではないかという錯覚を、マユミは感じた。<BR>
<BR>
「先日の、あのロボットは、その、２人と関係が……」<BR>
<BR>
「それを聞いてどうするつもりなの」<BR>
<BR>
　ミサトの眼差しが一変する。微笑みはそのままに、視線だけが射るような鋭い物に変わっていた。<BR>
<BR>
「わ、私は２人の担任ですから」<BR>
<BR>
「で？」<BR>
<BR>
　マユミは、目の前で静かに微笑む女性から感じる圧迫感に抗すべく、軽く息を吸い込んだ。踏み込むな、と告げる自分の直感を無視して、彼女は口を開いた。<BR>
<BR>
「心配なんです。碇君と綾波さんのことが」<BR>
<BR>
　カップに口をつけながら、ミサトはマユミの真剣な表情を、冷たい視線で探るように見つめた。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　オレンジ色をした真新しい左腕の各関節を固定している主拘束ブリッジ、そのボルトの圧力が緩んでいく。零号機の左腕再生作業はほぼ完了し、起動試験とフィードバック確認による最終調整を残すのみだった。<BR>
<BR>
　ケイジ内に警告ブザーとアナウンスが流れ、作業員は隣接した待機区画に移動して行った。作業責任者から制御室へ報告が入る。<BR>
<BR>
「全作業員、待避確認」<BR>
<BR>
　オペレーター達がコンソールを操作し、手際よく準備を進めていた。制御室からモニターしているリツコが、コンソール上の画面に映し出された少女に話し掛ける。白のプラグスーツを着た少女は、その小さな体をゆったりとシートに預け、落ち着いた表情を見せている。<BR>
<BR>
「レイ、始めるわよ」<BR>
<BR>
『はい』<BR>
<BR>
　零号機の起動プロセスを監視しながら、リツコはレイの表情を眺めた。視線を正面に向けているが、何かを見つめているわけでは無く、自分の中に意識を集中させているようだった。９歳の子供の顔ではなかった。大人びた、というのとは違う。一般的な『人間』とは全く別の価値観を持つ存在、とさえ思えてくる。外見はごく愛らしい少女である事が、その内面の異常性を逆に強調していた。<BR>
<BR>
「エヴァ零号機、起動しました。システム、オールグリーン」<BR>
<BR>
　マヤの報告と同時にディスプレイに表示されたパラメータを一瞥し、満足そうに頷くリツコ。<BR>
<BR>
「悪く無いわね」<BR>
<BR>
　キーボードに指を走らせながら、マヤがリツコを見上げる。<BR>
<BR>
「シンクロに対する動揺や恐怖は無いようですね」<BR>
<BR>
「そうね。強い子だわ」<BR>
<BR>
　前回の戦闘でレイが精神的な傷を負った可能性、それを心配しているのはマヤだけでは無かった。確かに、腕の１本や２本切り落とされた擬似痛覚を体験しただけで及び腰になるような脆い心では、使徒との戦いで生き残れないとリツコも思っている。それにしてもマルドゥックもよく仕込んだ物だわ、とリツコは皮肉まじりに感心した。<BR>
<BR>
　どんな技法を駆使すれば、９歳の子供にこれだけの堅牢な精神を築かせることが出来るのか、リツコは知的好奇心をかき立てられていた。<BR>
<BR>
（むしろ、子供だからこその強さ、かしら？）<BR>
<BR>
　前回の戦闘でエヴァに対する恐怖心が生まれたのではないかと危惧したリツコらは、レイに対して再三の心理テストを行なった。しかし、少女は全ての面で戦闘前と変わらない結果を出した。まるでそんな出来事など無かったかのように、レイの心は極めて穏やかだった。<BR>
<BR>
「それじゃレイ、さっき言った通り『拒絶』のイメージを。分かるわね？」<BR>
<BR>
『はい』<BR>
<BR>
　画面の中のレイの表情に、わずかに変化が現れる。感情の揺らぎによる変化では無く、意識の集中により思考と知覚が鋭角化された結果の表情だった。<BR>
<BR>
　零号機正面の空気が揺らめいた。<BR>
<BR>
　その現象を検出した測定器から送られる情報は、制御室のディスプレイ上で電子的なアラーム音と共に視覚化された。並行して行なわれている計測データの解析結果が、別のウィンドウでスクロールしていく。<BR>
<BR>
「ＡＴフィールド発生確認」<BR>
<BR>
「階差次元フェーズ、３から４へ。シミュレーションに一致しています」<BR>
<BR>
　ディスプレイに映る情報を吟味するリツコは、それらが予想されたパターンの範囲内に収まっていることを確認するとゆっくりと頷き、言った。<BR>
<BR>
「まず第一段階はクリアね」<BR>
<BR>
　やや緊張していたのか、マヤが軽く息を吐き出す。彼女は、モニタに映る零号機の状態に改めて注意を向けたまま、リツコに話しかけた。<BR>
<BR>
「それでも、基本原理の導出には程遠いですね」<BR>
<BR>
　自らの限界を客観的に知っている人間の口調でリツコが答える。<BR>
<BR>
「ＡＴフィールドの本質を真に理解し、扱えるのはエヴァにシンクロしている子供達だけよ。感覚として理解できるから、シンジ君やレイもいきなりの実戦でそれを使えた。我々では到底及ばない世界よ」<BR>
<BR>
　画面の中で意識を集中させているレイを気にかけながら、リツコは続けた。<BR>
<BR>
「ただ、シンジ君ではレイほどの細やかなコントロールは無理でしょうね。彼の心的構造は、何かを『イメージする』という精神作業にあまり向いて無いと思うわ」<BR>
<BR>
　彼に指示を出す人物からして繊細とは程遠い性格だし、とリツコは友人の顔を心の中に思い浮かべた。<BR>
<BR>
「レイ、もっと強く『拒絶』するイメージを。できるかしら？」<BR>
<BR>
『はい』<BR>
<BR>
　少女の眼差しに鋭さが増す。リツコはプラグから刻々と送られて来るレイの心理パターン情報では無く、少女の表情そのものから彼女の心の内部を推し量った。<BR>
<BR>
「それにしても、この集中力は見事ね」<BR>
<BR>
　彼女の見立てを裏付けるように、オペレーター達の報告が制御室の中を飛び交う。<BR>
<BR>
「シナプスグラフ、α領域拡大」<BR>
<BR>
「基礎共鳴波が実数空間に入ります」<BR>
<BR>
　零号機の頭部正面にオレンジ色に輝く多角形が出現した。制御室から見つめるスタッフがざわめく。その『壁』は一定のパターンを維持せず、ゆっくりと回転しながら辺の数を増減させ、６角形から１２角形の間で変動していた。光の壁の表面に映る同心円状のパターンが、波紋のように中心から周縁方向に広がっては消えるという繰り返しを見せている。<BR>
<BR>
　マヤが興奮を抑えるように小さな声で呟く。<BR>
<BR>
「外部から物理干渉を加えていないのに位相空間が目視できるなんて……」<BR>
<BR>
　わずかに考え込んだリツコが、すぐに口を開いた。<BR>
<BR>
「恐らく空気中の気体分子の衝突に反応してるのよ。予想より感度がかなり高いわね」<BR>
<BR>
（強く拒絶する程に、痛みには敏感になる、か）<BR>
<BR>
　ＡＴフィールドの輝きと面を構成する幾何学模様の複雑さが、互いに相乗するかのように変化していった。未知の原則に従って描かれたパターンは、整然とした美しさで、見る者の心を魅入らせる力があった。<BR>
<BR>
　エントリープラグの中、レイはイメージを描き続けていた。全てを拒絶し、自分以外の存在を心象世界から排除する。コントロールレバーを握る手に少し力がこもった。<BR>
<BR>
　少女は思い描く。何もない世界を。誰もいない世界を。完全な孤独を。<BR>
<BR>
　全く予期せぬ瞬間、少女の心に鮮烈なイメージが突き刺さった。<BR>
<BR>
　そして唐突に、光の壁は音も無く消滅した。<BR>
<BR>
　制御室に戸惑いが流れ、スタッフが慌ててモニターをチェックする。<BR>
<BR>
「ＡＴフィールド消滅。干渉パターンも測定限界を割りました。回復しません」<BR>
<BR>
　画面の中の少女は意識の集中を中断し、表情には出さないものの、戸惑うように視線を左右に向けていた。レイから目を離さずに、リツコが訊ねる。<BR>
<BR>
「パイロットは？」<BR>
<BR>
「やや緊張が見られますが、特に問題はありません」<BR>
<BR>
　彼女にしては、やや穏やかな調子でレイに話し掛ける。<BR>
<BR>
「……レイ、大丈夫？」<BR>
<BR>
『はい』<BR>
<BR>
「疲れたかしら？」<BR>
<BR>
『少し』<BR>
<BR>
「ノルマはクリアしているわ。今日はここまでにしましょう。お疲れさま……上がりなさい、レイ」<BR>
<BR>
『はい』<BR>
<BR>
　そう答える口調はいつもと同じ落ち着いた物だった。しかし、あの瞬間にレイの意識に割り込んで来たイメージは鮮明で、少女の記憶に強く焼き付いていた。ふと、強張っている指先に気付き、彼女はゆっくりと１本ずつ指をレバーから引き離した。<BR>
<BR>
　自由になった右手を見つめる。心に浮かんだイメージを確かめるように、レイは唇を小さく開き、『その名前』を呼んだ。しかし彼女はすぐに唇を閉じると、その顔から表情を消した。そうすることが自分にとって自然だと思えた。<BR>
<BR>
　リツコは制御室の窓から零号機を見た。エントリープラグが排出され、レイが乗降ブリッジに降り立った。少女がそのままパイロット控室の方向に歩み去るのを確認したリツコは、マヤに残りの作業の指示を出した。そして自分は収集されたデータを検討すべく、空いている端末に腰を下ろそうとした。<BR>
<BR>
　リツコの視線は、制御室の一角に吸い寄せられた。<BR>
<BR>
　実験に集中していて今まで気付かなかったが、見覚えのある赤いジャケットがこちらに背中を向けている。リツコの位置からは体の陰に隠れて見えないが、彼女は誰かと会話を交わしている風だった。<BR>
<BR>
　ミサトが自発的に実験に立ち会うなんて珍しい、とリツコが思った次の瞬間、彼女は小さく声を上げた。<BR>
<BR>
　ミサトの体の陰で、制御室の窓越しに零号機を見つめる女性がいた。<BR>
<BR>
　山岸マユミの瞳はまっすぐに、オレンジ色の巨人を見つめていた。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
「やっぱ怒ってる？」<BR>
<BR>
「いきなりで驚いただけよ」<BR>
<BR>
「あの……すみません、私が無理にお願いしたんです」<BR>
<BR>
「構わないわよ。責任取るのはミサトだし」<BR>
<BR>
　実験ケイジに繋がるエレベーターホールの前に設けられた、休息スペース。リツコは長椅子の上で足を組み、煙草に火を付けた。彼女の隣、１人分の距離を置いて座っているマユミが申し訳なさそうな顔でリツコをちらちら見ている。<BR>
<BR>
　自動販売機にもたれかかって缶コーヒーを口にしているミサトが、その２人を面白そうに眺めている。微妙に気まずい空気が流れていた。<BR>
<BR>
　背後で響いた靴音に、リツコとマユミが振り返った。いつもの様に白いブラウスと紺のスカートを身に付けた少女が、無表情にリツコを見つめている。前屈みになって煙草の灰を灰皿に落としながら、リツコが少女に話しかけた。<BR>
<BR>
「レイ、山岸先生よ。今日は家庭訪問で本部にいらしたの」<BR>
<BR>
　レイはちらりとマユミの方を見た。マユミがレイに微笑みかける。<BR>
<BR>
「こんにちは、綾波さん」<BR>
<BR>
　その言葉を気にもせず辺りを見回すレイ。マユミの表情が笑顔のまま固まる。自分は関係ないという顔で、ミサトはコーヒーを飲み続けた。<BR>
<BR>
　レイの行動の意味に気付いたリツコが、煙草を灰皿に押し付け、口を開いた。<BR>
<BR>
「ああ、シンジ君？」<BR>
<BR>
「はい」<BR>
<BR>
「今日はメディカルチェックだけだから、もう宿舎に戻ってるはずよ」<BR>
<BR>
「分かりました」<BR>
<BR>
　レイはそれだけを言って、再び歩き始めた。目の前を横切る少女をミサトは視線だけで追った。レイが乗り込んだエレベーターの扉が閉まる。きょとんとしているマユミに、リツコが説明する。<BR>
<BR>
「２人は普段一緒に行動させておくようにしてるの。一応、対人能力育成のつもりなんだけど、今のところ得られた物は、護衛監視の手間が１人分に節約できた事だけ」<BR>
<BR>
　そう言って新しく煙草に火を付けたリツコは、マユミのぴりぴりとした視線を感じながら長々と煙を吐き出した。しばらくの沈黙の後、マユミが問い掛けた。<BR>
<BR>
「……ネルフの皆さんは、碇君と綾波さんをどうするつもりなんですか」<BR>
<BR>
　ミサトも茶目っ気のある笑顔と共に、皮肉たっぷりの視線をリツコに向けて言った。<BR>
<BR>
「それは私も聞きたいわね」<BR>
<BR>
　どうもミサトの作戦に引っ掛かりつつあることを意識しながら、リツコは作業で疲れた目を閉じてまぶたを指先で揉みほぐした。<BR>
<BR>
「ミサトから一通り聞いてると思うけど」<BR>
<BR>
「パイロットとしてのお仕事ではなくて、子供達の将来的なお話です。都合良く使っておいて、後は放ったらかしなんですか」<BR>
<BR>
　まるでマヤと話しているようだと思いながら、リツコはため息をついた。<BR>
<BR>
「他に良い方法があるなら教えて欲しいわ」<BR>
<BR>
　それは彼女の心からの言葉だった。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　夜の闇が視界と引き換えに、そこにいる者の耳を鋭くさせている。<BR>
<BR>
　しかし、その森の中は不自然なまでに静かだった。地底空間に造られた人工の森林には、鳥や動物の気配、風にざわめく木々の囁きといった物が存在しなかった。<BR>
<BR>
　地面を縦横に走る樹木の根の上を器用に渡りながら、少女は自分の中にまとわりついて離れない１つのイメージに心を向けた。いくら振り払っても、気がつくと、いつの間にか自分の心の隅に居座っているそのイメージ。<BR>
<BR>
　少女は、自分の心の世界の調和を乱し続けるそのイメージに対する感情が、好奇心から嫌悪感に変わりつつあることを感じた。自分の中に生まれる感情を客観的に分析できるほど成熟していない少女の精神は、その不愉快なイメージをひたすら拒むことしか出来なかった。<BR>
<BR>
　少女は後ろを振り向く。そこにはいつもの様に少年が佇んでいる。少女の射るような赤い視線が少年を刺したが、少年はその意味を理解するための心を持っていなかった。<BR>
<BR>
　少女は、少年のそばに一歩だけ近付いた。少年はそこに立ったまま曖昧な視線を何も無い空中に漂わせている。少女の瞳が更に鋭く、冷たくなっていく。<BR>
<BR>
　少女は、一歩ずつ、確かめるように少年に近付いていった。<BR>
<BR>
　いつの間にか互いの息遣いが分かる距離まで来ていた。少女は少年の瞳を見つめた。少年の視線はどこにも焦点が合うことがなく、目の前で自分を見つめる少女の存在にも反応する事はなかった。<BR>
<BR>
　少女はゆっくりと右手を上げ、少年の顔に近付けていった。少年の呼気が少女の掌をくすぐる。<BR>
<BR>
　小さな掌が少年の頬に触れようとした時、ふと空気に違和感を感じた少女は、手を止めて周囲を見回した。闇に包まれた森の中は相変わらず静かで、自分と少年以外の気配は感じられなかった。少女はしばらくそのまま息を殺していたが、やがて少年の方に視線を戻そうと頭を動かす、その瞬間。<BR>
<BR>
　大地が、轟音と共に激しく振動した。<BR>
<BR>
　足元から突然地面が消え失せたような感覚で、少女は自分の体が空中に跳ね上げられた事に気付いた。<BR>
<BR>
　少女の小さな体はいとも簡単に投げ出され、樹木に叩き付けられた。その痛みは、少女に声を発するどころか呼吸の余裕すら許さなかった。かろうじて踏み止まったつもりの足がふらつき、少女は横倒しになった。受け身を取ることもできず、地面を覆う樹木の太い根に頭をまともに打ち付けた。側頭部に鈍痛が走ったが、遠ざかる意識と一緒にその痛みも沈んでいった。<BR>
<BR>
　意識を失う直前レイが見たのは、木にもたれかかって自分を見下ろすシンジの虚ろな瞳だった。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　夜明け前の緊急コールで叩き起こされたミサトが発令所に駆け込んで来た。<BR>
<BR>
「使徒なの！？」<BR>
<BR>
　ついさっきまで仮眠室で休んでいた日向が、建物の激しい揺れでベッドから振り落とされてから約１５分。髪についた寝癖もそのままにオペレーター席で忙しく作業をしている。受話器を肩に挟み誰かと会話を交わしながら、端末を操作している。日向が送話口を手で塞ぎ一旦会話を中断すると、ミサトの方を振り返った。<BR>
<BR>
「いえ、パターンは検出していません。ジオフロント外殻と外部天然岩盤の摩擦が起こした震動と思われます。収縮率の差による滑り現象は設計段階から予想されていましたが、かなり大きいですね、これ」<BR>
<BR>
　簡略化された本部施設全体の構造イメージ映像がディスプレイに映っていた。異常のないブロックは緑色に反転している。この時点で８割程の区域がすでに安全確認を終了していた。端末の操作を続けている青葉が、彼の椅子の背もたれに手をかけて後ろからモニタを覗き込んでいる冬月にちらりと視線を向けた。<BR>
<BR>
「主要施設における損害報告は現状ゼロです。全館システムチェック中の為、総稼働率が２割程落ちていますが、数時間以内に復旧します」<BR>
<BR>
　冬月が落ち着いた口調で青葉に指示を出す。<BR>
<BR>
「まずセントラルドグマを優先させろ。その次がＭＡＧＩとエヴァだ」<BR>
<BR>
「了解」<BR>
<BR>
「それよりも、葛城さん……」<BR>
<BR>
　日向がちらりとミサトを見る。彼の手元のディスプレイで点滅する、２つの『ＬＯＳＴ』のシンボルが彼女の視界に飛び込む。ミサトは視線を鋭くして画面を覗き込む。<BR>
<BR>
「ファースト、サード共にロストか……保安部は何やってんの」<BR>
<BR>
　いつの間にかミサトの後ろに来ていたリツコが、白衣のポケットに左手を突っ込んだまま、携帯式の情報端末を右手一本で操作しながら答える。<BR>
<BR>
「通常シフトだと、この時間帯は機械任せなのよ。とりあえず、地上に出た形跡はないわ。チルドレンはほぼ全ての入出ゲートを指紋認証だけで通行できるけど、今夜のログにそれらしいのは無いわね」<BR>
<BR>
「認証の必要がない扉から出たって事ね。考えられるルートは？」<BR>
<BR>
「第一候補は本部周辺の森林地帯ね。あの辺りはセンサーの網の目が粗いのよ、コストの兼ね合いで」<BR>
<BR>
　ミサトが腕時計をちらりと見る。<BR>
<BR>
「もうすぐ明るくなるわね。保安部全員叩き起こして捜索チーム編成しましょう」<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　レイが意識を取り戻した時、森はまだ闇の中だった。<BR>
<BR>
　最初に彼女の目に入ったのは地面の上に伸びる自分の足だった。心臓の鼓動に合わせて痛む頭に手をやると、指先に赤い物が付いた。右のこめかみ辺りに乾きかけた血がこびりついていた。全身の感覚を順番に確認していく。左足首を捻ったようで、少し腫れ上がっていた。他にはひどい怪我は無さそうだったが、今すぐ立ち上がって宿舎に帰る気にはなれなかった。<BR>
<BR>
　背中と膝の裏に加わるごつごつした感覚に周りを見回し、初めて自分が木にもたれかかるように座らされていることに気付いた。<BR>
<BR>
　ふと、左肩の暖かさに気付いた。<BR>
<BR>
　横に座る少年の肩がレイの体を支えていた。<BR>
<BR>
　レイはシンジの顔を見つめた。シンジはレイと同じような姿勢で木にもたれかかっていた。自分の顔を覗き込むレイに、シンジが注意を向ける事は無かった。彼の表情はいつもと同じで、感情の徴候すら浮かんでいなかった。<BR>
<BR>
　彼が羽織っているグレーの半袖シャツの胸元についた血痕に、レイの視線が止まった。シンジの体を眺め回して特に外傷が無い事を確認すると、レイは自分の頭の傷に再び手を当てた。少女の表情が少しだけ曇った。<BR>
<BR>
　レイはシンジから体を離すと膝を抱え込み、幼く小さな自分の体を更に縮めるように座り直した。体を動かした拍子に足首が少し痛んだ。<BR>
<BR>
　膝に顔を埋めたレイは少年がいる方向とは反対側にその視線を向け、何も無い森の中を見つめた。<BR>
<BR>
「こんなもの、いらないのに」<BR>
<BR>
　その小さな呟きに答える者は無く、少女の声は闇の中に吸い込まれた。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　騒々しく人が行き来する。食器がぶつかる音と話し声が交錯する職員食堂で、ミサトとリツコが昼食を取っていた。ラーメンをずるずるとすすりながら、ミサトが言った。<BR>
<BR>
「ま、大した被害がなくて良かったわ」<BR>
<BR>
　フォークでパスタを口に運びながら、リツコが答える。<BR>
<BR>
「マヤはお気に入りのマグカップが割れたって落ち込んでたわよ」<BR>
<BR>
　未明のジオフロントを襲った局地的な地震は、ネルフ本部をにわかに活気づかせた。致命的なダメージこそ無かったものの、細かな部分での障害がぽつぽつと報告されている。発生した時間が時間なだけに、一部のセクションでは朝からの業務に多少の混乱が生じていた。その事もあってか、緊急対応マニュアルの改善案が早くも監査部から出された、という噂をミサトは聞いていた。<BR>
<BR>
　チャーシューを飲み込んだミサトが、さりげなく周りを見回してから、リツコを見た。<BR>
<BR>
「レイとシンジ君は？」<BR>
<BR>
「休ませてるわ。レイの足首と頭の怪我もごく軽微。特に問題無し」<BR>
<BR>
　ミサトはスープの底に残っている麺を箸で器用に１つ残らずすくって口に入れた。丼を持ち上げてスープを味わいながら、ミサトが悪戯っぽい顔で問う。<BR>
<BR>
「危険な夜遊びにはお咎め無し？」<BR>
<BR>
「気を付けるように注意はしたわ。どうも、以前から２人だけで時々出歩いてたみたいね。気になるのは、レイに理由を聞いても『分かりません』の一点張りって所」<BR>
<BR>
「『何となく』ってことかしら。いかにも９歳児らしくていいんじゃない？」<BR>
<BR>
　早朝から続いていた空腹も解消され、『そんなのどうでもいいじゃん』と言わんばかりにミサトの表情が緩む。脳天気な友人にため息をついたリツコは、フォークをミサトの方に向けた。突然目の前に突き出された鋭利な代物に食後の穏やかな気分を害され、ミサトは顔をげんなりさせた。<BR>
<BR>
　フォークの先を向けたまま、リツコが冷たく問う。<BR>
<BR>
「あの子達が、理由も無くフラフラするように見える？」<BR>
<BR>
「それは……まあ、そうねえ。変……かしらね」<BR>
<BR>
「人の心は何を切っ掛けにどうなるか、まるで分からない危うい物よ。特にあの子達は……」<BR>
<BR>
　ミサトとリツコのポケットから同時に電子音が鳴り響いた。一挙動で携帯電話を取り出し、耳に当てるミサト。同時に、食堂のあちこちからも電子音が鳴り始めた。ポケットを探りながら席を立つ職員達が、ついさっきまでとは別の種類のざわめきを起こしている。<BR>
<BR>
　パスタの皿の脇に置いた携帯情報端末からのメッセージを見つめ、リツコが言った。<BR>
<BR>
「次のが来たみたいね、ミサト」<BR>
<BR>
　ミサトはコップの水を一気に飲み干すとテーブルを立った。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　澄み渡る青空の下、まぶしい太陽が照らしている風景に一片の不自然さが入り込んだ。<BR>
<BR>
　その物体が地上に落とすまだらな影は、機械的な直進性をもって進みながら木々や川面を不気味に舐め回す。<BR>
<BR>
　その巨大な『箱』は、地表から約２０メートルの高さを保ったまま、緑深い山間を音も立てずにゆっくりと飛行していた。遠目には黒い金網で六方を閉じて造られた『檻』にも見えるそれは、一辺が８０メートル程の立方体だった。その表面には、正確に直交する無数の黒い格子状模様が確認できる。外見から檻を連想させたのはこの黒格子の存在だった。<BR>
<BR>
　使徒の表面を構成している格子模様を通して、立方体の内部を見て取る事が出来た。立方体の中には赤い球体だけが存在している。球体は何の支えも無しに立方体の中心でその位置を維持し、鈍く赤い光を放っていた。<BR>
<BR>
　発令所の主モニターを通して見たその非生物的な外見に、ミサトは呆れるような視線を向けた。<BR>
<BR>
「ＵＮの迎撃部隊は？」<BR>
<BR>
　日向が少し不満げな色を滲ませた口調で答える。<BR>
<BR>
「散発的な攻撃の後、撤退しています」<BR>
<BR>
「気持ちは分かるけど、反撃を誘うくらいの事はして欲しいわね……ＭＡＧＩによる解析はどう？」<BR>
<BR>
　端末のモニタ上を流れる数式と文字列を目で追いながら、マヤがやや戸惑うような口振りで言った。<BR>
<BR>
「目標外殻の格子状構造物に対する『注意を喚起』しています」<BR>
<BR>
「……どういう事？」<BR>
<BR>
　マヤの後ろからモニタを覗き込んでいるリツコが代わりに答える。<BR>
<BR>
「ＭＡＧＩシステムは、曖昧な設問には曖昧な回答しか返せないのよ。人間的な表現に置き換えると『嫌な予感』って所かしら」<BR>
<BR>
　ミサトが考えこむ暇も無く、オペレーター席から青葉が報告する。<BR>
<BR>
「目標は湯河原を抜け大観山方向へ侵攻中。間もなく最終警戒エリアに到達します」<BR>
<BR>
「考えても答が出るわけじゃなさそうね。エヴァは？」<BR>
<BR>
「零号機、初号機共に発進準備完了」<BR>
<BR>
　ミサトは体の前で腕を組んだまま、モニターに視線を向ける。<BR>
<BR>
「では、迎撃予定位置にエヴァ２機を射出」<BR>
<BR>
「了解」<BR>
<BR>
　日向がキーを叩く。リニアレール監視ウィンドウの中で、２つの光点がその経路上を移動して行く。やがて、サブモニターの地形図に、円で囲まれた三角形の印が２つ表示される。それぞれのシンボルには『ＥＶＡ００』、『ＥＶＡ０１』という文字が併記されている。<BR>
<BR>
　空の司令席の脇で冬月がじっと発令所を見下ろしている。数日前から、ゲンドウはドイツ支部での折衝のために日本を離れていた。<BR>
<BR>
　主モニターでは２体のエヴァが地上に出現し、リフトから切り離される映像が中継されていた。<BR>
<BR>
「エヴァ両機、配置完了」<BR>
<BR>
　モニター上に２つのウィンドウが開き、プラグスーツを着用した幼い少年と少女の映像が映し出された。ミサトが呼び掛ける。<BR>
<BR>
「両機、パレットライフル装備の後、兵装ビルを遮蔽物としてその場で待機。いいわね」<BR>
<BR>
『はい』<BR>
<BR>
『……』<BR>
<BR>
　主モニターに小さく映る２つのコクピットウィンドウ。応答するのはいつものごとく、レイだけだった。シンジはどこを見ているのか分からない視線を宙に浮かせている。<BR>
<BR>
　モニター越しに見えるレイの表情が微かに陰りを帯びた気がして、ミサトは隣に立つリツコに小声で訊ねた。<BR>
<BR>
「レイは大丈夫？」<BR>
<BR>
「特に目立った変化は無いわ。シンクロも問題無し」<BR>
<BR>
「……そう」<BR>
<BR>
　ミサトはモニターに視線を戻し、互いに離れた位置についた２機のエヴァが、兵装ビルの陰でライフルを装備する様子を見つめた。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　エヴァ零号機はライフルを構え、兵装ビルの陰に片膝を突いていた。遥か彼方の一点にその単眼を向ける零号機の仕草は、それを操るレイと正確に同期していた。<BR>
<BR>
　レーダーサイトからＭＡＧＩ経由で転送される使徒の位置が、視界の右下隅に表示された地形図ウィンドウの上で点滅している。<BR>
<BR>
　レイが視点を初号機に移動させる。<BR>
<BR>
　数百メートル離れた所に配置された紫の巨人は、零号機と同様に兵装ビルの陰で片膝を突いたまま、両手で保持したライフルの銃口を上方に向けている。初号機の顔はやや前方の地面に向けられ、周囲を警戒したりする様子は全く無かった。それにシンクロする少年と同じように意志ある行動をまるで感じさせない初号機、その周りだけ時間の流れが止まっているようだった。<BR>
<BR>
　初号機を少しの間見つめた後、レイはコントロールレバーに設けられたスイッチの１つを親指で押し下げ、情報ウィンドウの視線追従機能をアクティブにした。少女の視線をセンサーが自動的にトレースし、速やかに全方位モニタの調整を行なう。レイの視界に、魔法のような突然さでいくつかのウィンドウがぱっと表示された。<BR>
<BR>
　彼女がどれだけ視線を動かしても、地形図のウィンドウは常に彼女の視界の右下に表示されている。その他の情報が表示されているウィンドウ群も同様に、レイがどこに視線を向けようがそれらは彼女の視界の中で常に同じ位置を保っていた。<BR>
<BR>
　レイは、間もなく使徒が現れるはずの山の稜線に再び視線を戻した。横向きになった三角形のシンボルが３つ並び、その頂点が指し示す先に注意を向けるため流れるような点滅を繰り返している。シンボルの下には数字が表示されており、その値は無情とも言える速さで減り続けていた。<BR>
<BR>
　使徒は少しずつ、しかし確実に第３新東京市に近付いていた。<BR>
<BR>
　零号機のコクピットの中で小さくアラームが鳴り、迎撃エリアに間もなく目標が到達することを知らせた。やがて始まるであろう使徒との戦闘を思っても、レイがその顔に感情を浮かべることは無かった。<BR>
<BR>
　再び短いアラーム音が鳴り、レイの顔のすぐそばに発令所との通信ウィンドウが開いた。レイは目だけをそちらに向ける。ミサトが真剣な顔でこちらを見つめていた。他人の表情から何かを読み取るという考えを持った事が無い少女は、その視線をただ無感動に受け止めた。<BR>
<BR>
　ミサトは零号機と初号機に通信回線を繋ぎ、シンジとレイの表情を確認していた。無表情が即、冷静さの指標にはならないのは承知していたが、２人とも良く落ち着いているように見えた。<BR>
<BR>
　丘陵に擬装した迎撃施設から放たれたミサイルは全て箱型使徒に命中していたが、それは目標にかすり傷すら負わせられなかった。反撃する価値すらないと思ったか、あるいはその手段が無いのか、使徒がそれらの攻撃に何かの反応を示すことは無かった。その巨大な立方体は、行く手を遮る事を許さない圧迫感を見る者に与えながら、ゆっくりとした飛行を続けている。<BR>
<BR>
　ミサトはモニターに映る使徒の映像にも注意を向けたまま、２人に話しかけた。<BR>
<BR>
『確認します。シンジ君は、私の合図でＡＴフィールド中和。目標が攻撃してきた場合はフィールド中和しつつ回避行動』<BR>
<BR>
　ＶＴＯＬから中継されている箱型使徒の映像が、２機のエヴァのコクピット内部に転送された。黒い格子模様を透かして見える赤い球体を強調するように、映像に重ねられた円形のシンボルが点滅した。<BR>
<BR>
『レイ。フィールド中和を確認したら、目標中央部のコアを狙って発砲』<BR>
<BR>
　レイは使徒の映像を見つめながら、ミサトの指示を聞き続けた。<BR>
<BR>
『仮にレイが反撃を受けた場合は、ポジションチェンジ。つまり、シンジ君が攻撃、レイが敵フィールド中和しつつ回避行動。この繰り返しで目標を殲滅。２人とも、いいわね』<BR>
<BR>
『はい』<BR>
<BR>
　レイの応答を聞きながら、ミサトはシンジの顔を見つめる。少年はミサトの声に対して目に見える反応はしなかった。しかし、彼の意識の中には自分の声が届いているのだろう、とミサトは半ば諦め気味に思った。<BR>
<BR>
　日向が報告する。<BR>
<BR>
「目標、迎撃エリアに侵入」<BR>
<BR>
　レイが見つめている山の陰から、数機の監視用ＶＴＯＬが逃げるように飛び去り、目標がすぐそこまで来ていることを少女に暗示させた。そして数秒後、それが正しい事を目標自身が証明した。<BR>
<BR>
　巨大な立方体が、緑に覆われた稜線の向こうから山肌を沿うように姿を現した。地表からの高度を一定に保って飛行している使徒は、山の凹凸に応じてその軌道を微かに上下させている。<BR>
<BR>
　木々の上に淡い影を落としながら、山の斜面に沿って緩やかに下ってくる、飛行する巨大な立方体。発令所で見守るスタッフの間に、押し殺した緊張が張り詰める。<BR>
<BR>
　ためらいを全く感じさせない動きで、その巨大な構造物が山麓部を抜け、都市上空に入る。ビル群の上をかすめるような高さで飛行する使徒の影が、兵装ビルの上面や壁面をゆっくりと覆っていった。<BR>
<BR>
「目標、第５エリアに侵入。エネルギー反応その他、変化無し」<BR>
<BR>
　地形図に表示された予測進行ルートに、ミサトがちらりと目を向ける。この予測通りなら、使徒は初号機と零号機のほぼ中間を抜けるコースを取るはずだった。<BR>
<BR>
　レイは、使徒表面に走る無数の格子模様を透かして見える赤いコアに照準を向ける。白いプラグスーツに包まれた少女の幼い肢体がやや前傾姿勢になり、それに呼応するかのように零号機が射撃姿勢を取る。兵装ビルの脇から体半分だけを乗り出して、ライフルの銃口を向ける片膝立ちの零号機。使徒に照準を合わせ続けるため少しずつ姿勢をずらしていく零号機のつま先が、鋪装された路面との間で摩擦音を低く鳴らしている。<BR>
<BR>
　使徒の映像と地形図をじっと見ていたミサトが指示を出す。<BR>
<BR>
「該当エリア内の迎撃システム起動。零号機の発砲と同時に射撃開始。できるだけ、零号機と同じポイントを狙って」<BR>
<BR>
「了解」<BR>
<BR>
　ミサトの命令により、青葉がキーに指を走らせる。<BR>
<BR>
　地形図上のいくつかのポイントが黄色に反転し、それぞれに連続した番号表示が付与される。それらのポイントが一斉に点滅を始めた。<BR>
<BR>
　その点滅しているポイントに対応するビルの外装に変化が生じた。兵装ビルの壁面の一部がスライドし、誘導兵器の射出口が顔をのぞかせていた。動きのあったビルを線で繋ぐと、使徒をほぼ半円形に囲んでいるのが確認できる。しかし、それに気付いているのかいないのか、使徒はその動きを変化させることは無かった。<BR>
<BR>
「目標、フィールド中和可能距離に入りました」<BR>
<BR>
　日向の報告に、ミサトがすぐさま反応する。<BR>
<BR>
「シンジ君、ＡＴフィールド中和開始」<BR>
<BR>
　片膝立ちの初号機は、兵装ビルの陰から使徒に視線を向けた。<BR>
<BR>
　少年の精神はこの手の作業に不向きだったが、入力と出力を機械的に繰り返すだけの彼の精神では、その事について好悪を感じることはできなかった。シンジはカメラやセンサーからもたらされる情報では無く、エヴァパイロットだけが理解できる感覚を通して、箱型使徒の表面にまとわりつく『場』を知覚した。彼はその向こうに自分の手を差し入れるイメージを形成した。<BR>
<BR>
　それはレイに比べれば余りにも粗野で直線的で乱暴な手順だった。シンジは数年に渡ってこれを扱うイメージトレーニングを課せられ続けていた。しかし、彼の貧困なイメージング能力で、操縦者の心的作用に密接したＡＴフィールドという概念を扱うのは多少荷が重かった。それでも、数値化できない圧倒的なポテンシャルを持つ初号機が、彼の足りない能力を十分に補っていた。<BR>
<BR>
　使徒の周囲から急速に『場』が失われて行くのが、レイにも感じられた。零号機の指がトリガーに添えられ、レイの意識は照準の先の赤い球体へと更に集中する。<BR>
<BR>
「目標のＡＴフィールド、４％まで減衰」<BR>
<BR>
「レイ」<BR>
<BR>
　ミサトの呼び掛けと同時に、連続した発射音が甲高く響き、零号機の構えるパレットライフルから弾丸が撃ち出される。<BR>
<BR>
　宙に浮かぶ巨大な箱、それが零号機に向けている面の一点に弾丸が集中する。着弾した瞬間、弾丸それ自身が持つ速度と、箱の周囲を未だ微かに覆う壁の頑強さによって、互いの硬さを象徴するような衝突音と破裂音が周囲に大きく鳴り響く。砕け散った弾丸が起こした煙の隙間に、かすかにオレンジ色の光が視認出来たが、その光は今にも消え入りそうなちらつきを見せていた。<BR>
<BR>
　同時に、発令所の主モニター上で点滅していた黄色のポイントが、電子音と共に赤に反転した。その直後、使徒を囲んでいる兵装ビルから一斉にミサイルが放たれた。地形モニター上では、白線で描かれたミサイルの軌跡が、赤いポイントから目標に向かって刻々と伸ばされつつある。その直線の集合は、使徒を中心とした扇形を形作ろうとしていた。<BR>
<BR>
　使徒に向かって同時に複数の方向から高速で飛翔する誘導兵器が起こした白煙が、都市の上空に次々と糸を引いて行く。<BR>
<BR>
　既にパレットライフルの攻撃が集中している使徒の面に、容赦なく無数のミサイルが撃ち込まれていった。<BR>
<BR>
　絶えまなく巻き起こる炎と煙と爆発音が、第３新東京市の上空を激しく揺さぶる。爆風で巻き散らされた無数の粉塵と破片が、ビルや道路の上に雨あられと降り注いでいく。<BR>
<BR>
　苛烈な攻撃にさらされながらも、使徒がその進行を止める気配は皆無だった。初号機と零号機の中間を抜けようとする使徒に向かう攻撃の手も全く緩む事が無かった。<BR>
<BR>
　日向がモニタを見つめる。端末のモニターに映されている第３新東京市の概略マップが、彼の眼鏡に反射している。<BR>
<BR>
「目標、初号機への最接近ポイントを通過します」<BR>
<BR>
　使徒の観測情報を監視しているマヤが続いて報告する。<BR>
<BR>
「使徒のＡＴフィールド、完全中和を確認」<BR>
<BR>
　その時、何か変化を捉えた気がして、ミサトはモニターに目を凝らした。<BR>
<BR>
　使徒の巨大な匡体が震えたように見えた。その直後、日向の報告が彼女の感覚を裏付けた。<BR>
<BR>
「目標の移動速度低下。高度も下がり始めました」<BR>
<BR>
　止む事のない爆発の嵐が、使徒の進行を少しずつ押し止め始めた。僅かずつではあるが、確実に使徒はその動きを衰えさせていた。<BR>
<BR>
　コースを逸れ始める箱型使徒の映像に、日向が少しばかりの期待を込めて、ミサトの方を見る。ミサトは主モニターの使徒とエヴァ、そして地形モニタへ等分に注意を集中させていた。彼女の表情には未だに余裕のような物は現れていなかった。<BR>
<BR>
　その心中を探るように、日向が小さく呟いた。<BR>
<BR>
「行けそうですね」<BR>
<BR>
　彼の言葉に対する応答は、ミサトがいる方向とは逆から聞こえて来た。<BR>
<BR>
「まだよ。コアに攻撃が届いていないわ」<BR>
<BR>
　マヤの後ろで端末モニタ上に刻一刻と蓄積され続ける使徒の解析データを注視しているリツコの言葉に、ミサトが頷く。<BR>
<BR>
　執拗に射撃を続ける零号機のコクピットにいるレイからも、使徒は明らかにその高度を維持できなくなっているように見えた。それまでの鉄の様に頑な動きが揺らぎ、ふらついている。ゆっくりと水平方向に回転運動が始まり、ミサイルとライフルの弾丸が集中している面が零号機の方に向いて来た。同時に、爆発で圧された使徒の軌道が零号機に接近している。<BR>
<BR>
　使徒は、トリガーを引き続ける零号機の正面に墜落するコースを取り始めた。<BR>
<BR>
　高度を落とした箱型使徒は、その角を兵装ビルにこすった。ビルの外壁が削れ、数メートルほどのコンクリート片がぼろぼろと剥落する。その衝撃で使徒は更に速度を落とし、降下する角度も急になった。<BR>
<BR>
　その時、使徒の外殻を成す黒い格子模様に白く亀裂が入った。<BR>
<BR>
　いけるか、とミサトは思った。<BR>
<BR>
　攻撃を受け続けていた面の黒い格子が粉々に砕け、その破片がきらめきながら弾け飛んだ。『零号機の方向』に向かって一斉に、機械的な正確さで。<BR>
<BR>
　明確な意志によってコントロールされ、散弾と化した無数の破片が零号機に殺到する。<BR>
<BR>
　レイの視覚はそれを認識したが、反応する暇はなかった。零号機が遮蔽物にしている兵装ビルの外壁一面に黒い格子の破片が突き刺さった瞬間、それらは耳障りな甲高いノイズと共に白熱し内部に溜ったエネルギーを一瞬で解放した。<BR>
<BR>
　兵装ビルを中心にして周囲が強烈な白色光に包まれると同時に、激しい爆発が巻き起こった。耳をつんざくような猛烈な爆発音を伴い、炎の柱が兵装ビルの立ち並ぶ間から空高く吹き上がった。<BR>
<BR>
　ミサトは兵装ビルの射撃制御を行なう青葉と、パイロットをモニタリングしている日向に叫ぶ。<BR>
<BR>
「射撃中止！！レイは！？」<BR>
<BR>
「無事です！」<BR>
<BR>
　すぐさまモニタに目を戻したミサトの目に、爆発跡の惨状が飛び込んできた。兵装ビルが存在した場所は地面が剥き出しのクレーターと化し、爆煙が漂っている。<BR>
<BR>
　爆心地でうつ伏せに横たわる零号機は、その表面があちこち無惨に焼けただれて、肩から胸部にかけての装甲も亀裂が走り、一部は剥離すらしている。<BR>
<BR>
「う……」<BR>
<BR>
　レバーを握りしめ、折り曲げた上体をようやく支えている少女の口から呻き声が洩れる。<BR>
<BR>
　反射的に展開したＡＴフィールドで直撃は免れた物の、レイが受けた衝撃は少なく無かった。閃光による視覚の麻痺はコクピットが備えている自動遮光機能によって最小限で済んだが、零号機そのものが受けたダメージが少女の体にフィードバックしていた。全身を走る、ちりちりと焼け付くような痛みが尾を引いている。最初のショックから回復し、大きく息を吐き出したレイは顔を上げると、本能的に周囲を警戒するべく視線を周りに巡らせた。<BR>
<BR>
　零号機の真上に現れた気配に気付いたレイが零号機の左手を大地に突かせ、機体の上半身を起こした。シンクロを通して下半身に痺れるような違和感があったが、今迫っているのはそれを上回る危険な気配だった。<BR>
<BR>
　箱型使徒が零号機の真上にいた。黒い格子が一部失われてぽっかり穴が開いた面を下に向けている。零号機の位置からは使徒内部の赤いコアを遮る物は無く、完全に無防備な状態を晒していた。レイは右手に持ったままのパレットライフルを構えようとしたが、それは銃身の中程で融解し完全に捻れていた。零号機はへたり込んだまま立ち上がる様子も無く、使徒に視線をじっと向けていた。<BR>
<BR>
　使徒はそのまま滑らかな動きで空中を降下して来ている。零号機は使徒の『檻』の中にすっぽりと入り込もうとする位置で動けないでいた。使徒の大地に落とす影が見る見る大きくなり、零号機を覆っていった。ミサトが叫ぶ。<BR>
<BR>
「レイ、逃げて！」<BR>
<BR>
　エヴァの損傷をチェックしていたマヤが張り詰めた声を上げた。<BR>
<BR>
「零号機、腰部神経にダメージ！動けません！」<BR>
<BR>
　ミサトはモニタに映る紫の巨人に目を向けた。爆発地点からは距離があったため、初号機に目に見えるような損害は無かった。ミサトが命令を出す前に、初号機は動き始めていた。<BR>
<BR>
　初号機が腰だめに構えたライフルから、高速で弾丸が連続発射されるが、使徒表面の黒い格子の手前で、強いオレンジ色の輝きを見せる壁によって粉砕された。使徒の降下は止まる事無く、上半身を起こした零号機の体に使徒の『檻』がかぶせられようとしている。<BR>
<BR>
　キーボードを慌ただしく叩く日向の声には、強い焦燥の色が浮かんでいた。<BR>
<BR>
「ダメです、この距離では十分なフィールド中和は期待出来ません！」<BR>
<BR>
　マヤの端末から続けざまにアラームが鳴り響き、その音の数と同じだけ赤く縁取られたウィンドウが表示される。それらの情報が示す物を見て、マヤが高く声を上げた。<BR>
<BR>
「目標の形状変化！外殻周辺のＡＴフィールドも歪曲！」<BR>
<BR>
　それまで立方体を保ったままだった使徒が、降下しながら歪み始めていた。直線状の黒い格子が曲率を上げて伸縮し、全体に丸みを帯びた半球状の巨大なドームに変型した。その大きさは兵装ビルを優に４、５棟はすっぽりと囲える程の規模だった。<BR>
<BR>
　更にそのドームを構成する黒い格子の至る所から、新たな枝が使徒の外部と内部へ同時に生え出した。その動きは、何かの生物の成長過程を早回しで見ているような無気味さだった。<BR>
<BR>
　ドーム内の天井部分に浮かんでいるコアを包むように黒い枝が生え、伸びていく。使徒のコアを保護するネット状構造物の形成過程を、レイは真下から見つめていた。更に外部に大きく突き出した無数の枝が、ハリネズミのようにドームの表面を均等に覆っていた。<BR>
<BR>
　零号機の上から椀を伏せるような格好で、ドーム型に変型した使徒が地上へと近付いて行く。底縁部が零号機の頭の高さまで来た時、使徒は降下する動きを止めた。一拍置いた次の瞬間、使徒は重力に身を委ねて地上に落下し、地響きと共に土煙を巻き上げた。その真下にいた零号機は、ドーム状の『檻』によって外界から完全に隔離された。<BR>
<BR>
　ドームの境界付近で火花が散り、土煙の下で太い蛇のようなものが大きく波打った。零号機のコクピット内で周囲を見回すレイの視界の端で、活動限界を表示するカウンターが動き出し、その値を猛烈な勢いで減らし始めた。<BR>
<BR>
「零号機、ケーブル断線！内部電源にスイッチしました！」<BR>
<BR>
　ミサトの命令に忠実に従っている２人の子供達は、躊躇なく行動を開始していた。<BR>
<BR>
　シンジが操る初号機は、パレットライフルの照準をドームの頂上辺り、黒い格子の向こうに隠れているコアに合わせ続け、射撃を繰り返している。弾丸は未だに使徒の強固なＡＴフィールドに遮られているものの、初号機が少しずつ使徒へ接近するに従い、シンジが本能的に行なっているフィールド中和効果が上がり始め、そのまばゆいオレンジ色の光はくすみ始めていた。<BR>
<BR>
　一方、ドームの内部に閉じ込められた零号機の中では、レイが使徒の展開しているＡＴフィールドを中和すべく意識を集中し始めていた。彼女が感じた使徒の『場』は数え切れない程に細かく分割されており、非常に複雑なパターンをそれぞれの部分が独立して描いていた。分割されたフィールドを個々に中和することは不可能だと判断した少女は、多少効率が落ちるものの、使徒のボディ全体を均一に中和するべく精神を研ぎすませた。<BR>
<BR>
　戦っているのは子供達だけでは無かった。発令所でもその訓練された頭脳を眼前の事象に集中させている女性が、静かな戦いを続けていた。マヤの後ろに立ち、集中力の総てを彼女の端末モニタからの映像に投入しているリツコにとって、視覚以外の感覚は限り無くゼロになっている。音も匂いも消えた世界で、リツコはただ目の前の情報だけに自分の全てを注いでいた。<BR>
<BR>
　ＭＡＧＩが、使徒を観測しているセンサー群から取り出した情報をフェムト秒単位で処理し、図式化する。リアルタイムで変動し続けるグラフや、３次元的な映像を伴う数値が滝のような勢いでマヤの端末のモニタに表示される。この、地上で最も優れた演算システムは、膨大な情報の洪水を元に得られたいくつかの推測を極めて複雑な数式で表現した。リツコにとってこれらの情報の集合は、間違い無く独自な法則に基づいた一つの『言語』であり、数式やグラフのパターンそのものが内包する概念を読み取る事は、機械との擬似的な『会話』であった。<BR>
<BR>
　訓練無しでは文字を追うだけでも困難なその数式群をリツコは瞬時に読み取り、事の重大さを認識した。それまで意識から閉め出していた発令所の騒々しいざわめきが、再び音として彼女の知覚に入り込んで来た。声を上げる時間すら惜しみたくなるほどの切迫感が、彼女の体を震わせた。間に合って、と願いながらリツコは叫んだ。<BR>
<BR>
「ダメッ！２人を止めて！あの使徒は『地雷』よ！！」<BR>
<BR>
　正確な意味はともかく、彼女の意を瞬時に理解したミサトが素早く反応する。<BR>
<BR>
「作戦中断！シンジ君！レイ！止まりなさい！！」<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　第３新東京市は夕暮れを迎えていた。沈む太陽を惜しむように、蝉の鳴き声がそこかしこから聞こえてくる。鳥や虫達にとってはいつもの夕暮れと同じ、のどかな時間が流れていた。<BR>
<BR>
　赤い夕日が染めるビルの林の中に、黒い格子で造られた巨大なドームが鎮座している。まるで他者の接触を拒むように、放射状に伸びた無数の黒く鋭い枝が地獄の針の山のごとくドームの表面を覆い尽くしていた。<BR>
<BR>
　第３新東京市を取り囲む山肌を巡る道路の一画にある展望台から、使徒がいる区画を遠く臨むことが出来た。<BR>
<BR>
　黒いドームに向けていた双眼鏡を下ろし、ミサトは腕時計に目をやった。<BR>
<BR>
　箱型の使徒が自分の体を変形させて造り出したドーム型の『檻』。その中に零号機が囚われてから、およそ２時間が経過していた。<BR>
<BR>
　ミサトは視線を横に向け、ベンチにおとなしく座る青いプラグスーツの少年を見つめた。華奢で小さなその体が夕焼けを照り返している。やや斜め下方の地面に向けられているシンジの視線は何も見ておらず、少年はただそこにじっと座っているだけだった。<BR>
<BR>
　展望台の駐車場に、臨時の指揮所として装甲指揮車が置かれている。それを取り囲むように様々な機器を積んだ数台の車両が並び、そこから伸びる無数のケーブルが駐車場の路面に這わされている。それぞれの作業を続けるネルフ職員の喧噪が、ミサトのいる場所にまで聞こえていた。<BR>
<BR>
　辺りが薄暗くなるにつれて、周囲の電灯がぽつりぽつりと灯り始めていた。臨時指揮所の方へ歩きながら、ミサトは人工の灯の周りを飛び回る虫達を微笑ましげに見上げた。<BR>
<BR>
　人類が滅びるかも知れないという時でも、変わらない日常を過ごす小さな命達。その様子を見るだけで不思議に心が落ち着いた。<BR>
<BR>
　ミサトが乗り込んだ指揮車の中には、重苦しい空気が流れていた。マイクロバス程の広さを持つ車内の壁際に設置された端末の前で、マヤとリツコがああでもない、こうでもないと話し合っている。<BR>
<BR>
　ミサトは自分の後ろから指揮車内部に入って来た人間の気配に振り向いた。<BR>
<BR>
「状況はどうなってる」<BR>
<BR>
　冬月の問いにミサトは肩をすくめた。冬月は探るような視線を少しの間彼女の顔に向けていたが、すぐにリツコの後ろへと歩み寄った。<BR>
<BR>
「現状の把握は出来ました」<BR>
<BR>
　リツコの言葉に合わせ、マヤが座る端末の上方に据え付けられた中型モニターに電源が灯る。冬月とミサトがリツコの背後から画面を見上げる。モニタの中、ドーム型使徒の外観がワイヤーフレームで再現されている。映像の視点が移動し、使徒を真上から眺めるアングルに変わった。<BR>
<BR>
　マヤが端末の操作を行いながら、説明を始める。<BR>
<BR>
「使徒が現在展開しているＡＴフィールドは、さほど強力な物ではありません。エヴァの能力ならば突破する事は十分に可能です、が」<BR>
<BR>
　外した眼鏡を畳んで白衣のポケットに入れながら、マヤの言葉をリツコが引き継いだ。<BR>
<BR>
「使徒の体そのものが巨大な『爆発物』になっています」<BR>
<BR>
　マヤがキーを叩くと、使徒映像の一部分が拡大された。格子状に入り組んだ構造物の映像が、難解な科学用語の注釈付きで現れる。格子の黒い表面が透明化し、各種観測データから推測された内部構造がＭＡＧＩにより描画された。<BR>
<BR>
　格子の内部は一定間隔毎に壁で仕切られており、それぞれの部屋を連結する節がドームの曲線に応じてフレキシブルに変形していた。格子の中に存在する無数の部屋は、内部にそれぞれ赤と青が混在した渦状パターンが描かれている。<BR>
<BR>
　画面の中で渦巻く毒々しい色彩を冷めた目で見つめながら、リツコが説明を続ける。<BR>
<BR>
「使徒を構成する構造物ですが、材質は極めて脆く、内部は隔壁で細かく区切られています。それぞれのパーティションの中では、準臨界状態……つまり、暴走一歩手前の状態を維持した低濃度Ｓ２機関が循環しています」<BR>
<BR>
　モニタの映像が再び使徒全体を俯瞰するアングルに戻る。画面の端に『模擬』の文字と１／１００秒単位で加算されて行くタイマーが表示された。<BR>
<BR>
　突然、映像の中で使徒の一部分に亀裂が入る。亀裂はあっという間に使徒全体に及び、ドーム型使徒表面の黒い格子が白熱を始めた。次の瞬間、モニタは白一色に塗りつぶされた。数秒後、画面に暗さが戻ったが、そこには何も映っておらず、画面隅のタイマーだけが静かにその値を増やし続けていた。<BR>
<BR>
　リツコが背後のミサトと冬月をちらりと見る。<BR>
<BR>
「この使徒を破壊する事は容易です。しかし、強い衝撃を加えれば、使徒内部のＳ２機関も瞬時に崩壊し、爆発的なエネルギー放出現象を起こします」<BR>
<BR>
　ミサトは、兵装ビルを吹き飛ばし零号機を焼けただれさせた使徒の破片を思い出し、ゆっくりと頷いた。<BR>
<BR>
「コアを破壊しようにも、使徒の表面に下手に触った途端ドカンと行くわけね……このシミュレーションだと、使徒自身も吹っ飛んでるみたいだけど？」<BR>
<BR>
「使徒自身どころか、最低でも都市と天蓋装甲の８０％は吹き飛ぶわ。或いはそれが目的なのかも。私に使徒の気持ちは分からないけどね」<BR>
<BR>
　冬月が手を後ろ手に組み、じっと画面を見つめながら訊ねる。<BR>
<BR>
「現在の使徒の活動状況は？」<BR>
<BR>
　マヤの隣の端末を操作している日向が振り向いて答えた。<BR>
<BR>
「ドーム表面の格子から分岐させた『根』を地中に伸ばし続けています。根は現在、第１２番装甲付近まで到達しています」<BR>
<BR>
　日向がキーを叩き、モニタの映像が切り替わる。第３新東京市とジオフロントを隔てる岩盤と特殊装甲を３次元的に表現する画像が現れた。<BR>
<BR>
　使徒がドームを形作っている地点から、地中に向かって毛細血管のような網目が張り巡らされている。それらの根は複雑に分岐し、合流し、再び分岐し、より地中深くへ向かおうとその先端をくねらせていた。一見でたらめに伸びているように見えるが、ある力学的観点から見ると、それはまったく理にかなった配置であった。画面上いくつかのポイントにマーキングがされ、各ポイントから赤く点滅する矢印が放射状に伸びている。<BR>
<BR>
「地中各所でこれらの根の一部を、内包するＳ２機関ごと爆発させ、ジオフロントの天蓋装甲を垂直方向に掘り抜く意図と思われます。ＭＡＧＩは、都市表面からジオフロントまで直径約１２０メートルの縦穴が生じると予測しています。理想的な爆破位置へ使徒の根が達するまで、およそ４０分という所です」<BR>
<BR>
　冬月が苦々しげな顔を見せる。<BR>
<BR>
「使徒本体はくり抜いた穴をそのまま一直線に降下、というわけか」<BR>
<BR>
　そして、さりげなくミサトが口を開いた。<BR>
<BR>
「前回のもそうだけど、使徒は明らかにネルフ本部を目指してるわけね」<BR>
<BR>
　共通の敵と戦う時の連帯感は、人の中の猜疑心を多少なりとも緩める。この緊迫した空気は、日頃警戒心の強い人間からどさくさ紛れに言葉を引き出す良いタイミングだった。この戦闘に勝利するためでは無く、リツコと冬月の反応を見るためだけに、ミサトはその問いを発した。その問いの対象となった２人は、完全な無表情と無言でそれに応じた。<BR>
<BR>
　答えがあるとは初めから期待していなかった。答えがないのもそれはまた一つの情報だった。ミサトは小さく微笑んだ。<BR>
<BR>
　何事も無かったように、ミサトは日向に訊ねた。<BR>
<BR>
「零号機は？」<BR>
<BR>
「下半身の麻痺がかなり深刻ですね。ドーム内部、中央付近から動けずにいます。落下して来たドーム型使徒底辺のエッジによって、アンビリカルケーブルは切断されています」<BR>
<BR>
　日向は視線をミサトに向け、端末モニタの隅に表示されている、零号機システム情報に注意を促した。内部電源の残量を時間換算する表示は、着実にその値を減じ続けている。<BR>
<BR>
「作戦中断後、零号機は生命維持モードに移行。現状維持なら、残稼動時間は約９時間です」<BR>
<BR>
「零号機を戦闘行動に参加させた場合の活動可能時間は？」<BR>
<BR>
「約２００秒です。状況によっては更に短くなります」<BR>
<BR>
　ミサトは即座に判断を下し、冬月に視線を向けた。<BR>
<BR>
「速やかな攻撃行動の開始を提案します。ドーム型使徒の内部から零号機がＡＴフィールド中和。その後、初号機によるコアの破壊が最も合理的な作戦です。使徒本体の爆発による被害は目をつぶるべきかと」<BR>
<BR>
「あの使徒の構造だと爆発エネルギーは、ドーム内部の零号機に持続的に集中するわ。それに耐えうる強度のＡＴフィールドを、内部電源だけで展開維持するのは不可能よ」<BR>
<BR>
　リツコが馬鹿馬鹿しいとばかりの口調で反論した。しかし、ミサトはその瞳に心無しか楽しげな色を浮かべて、さらりと答える。<BR>
<BR>
「零号機と引き換えに使徒が倒せるなら安いもんでしょ？」<BR>
<BR>
　２人の女性の視線が交錯する。リツコの突き刺すような視線に、ミサトは見透かすように薄く微笑んだ。リツコは堪え難い感情を抑えるように張り詰めた声で問う。<BR>
<BR>
「あの子に死ねと命令するの？」<BR>
<BR>
「皆が死ぬよりマシでしょ」<BR>
<BR>
　指揮車の中に重い沈黙が積もっていく。ミサトとリツコから、互いに決して譲らないという意志がひしひしと周囲に伝わってくる。日向とマヤも背後の冷たいぶつかり合いに困惑した表情を見せていた。見兼ねた冬月が、２人の睨み合いに割って入る。<BR>
<BR>
「できれば零号機を失うことは避けたい。赤木君、何か策があるのかね」<BR>
<BR>
　ミサトの目をじっと見据えたまま、リツコは口を開いた。言葉に相手をねじ伏せる力を持たせるかのように、一言一言に強さが込められていた。<BR>
<BR>
「この使徒の戦略の特徴は、急所とも言えるＳ２機関を敵の前に自ら晒し、それを逆に武器にしている、という点にあります」<BR>
<BR>
　リツコはマヤの後ろからキーボードに手を伸ばし、片手で猛烈なスピードのタイピングを行なう。モニタに一つのウィンドウが現れ、赤い球体とそれを立体的に取り囲む複雑な青い糸のような物が表示された。<BR>
<BR>
「先日確保した使徒残骸の分析結果から推測した、使徒の動力システムの概念図です」<BR>
<BR>
　赤い球体と糸の間の隙間に乳白色の領域が描かれる。その空間を内側から外側へ向かって波紋のような物の広がる様子が表示されていた。<BR>
<BR>
　リツコがキーを一つ叩く。赤い球体から周囲に伝わる波紋が消え、乳白色の領域も消滅する。それに伴い、球体を取り囲んでいる無数の糸からも青い光が失われていく。画面に目を向けたまま、リツコの言葉が続く。<BR>
<BR>
「使徒の持つＳ２機関はコアと不可分なシステムです。コアとの連絡が絶たれた瞬間、それはＳ２機関とは完全に別の物体となり、エネルギー生成はもちろん、暴走の可能性すら無くなります」<BR>
<BR>
　映像の中、完全に光を失った糸が次々と朽ちて消滅して行く様がリアルに描かれている。モニタを見ながら、冬月が頷いた。<BR>
<BR>
「コアさえどうにかすれば、『根』や『格子』内部のＳ２機関も即時無力化できるということか」<BR>
<BR>
「そのコアに触る事ができないのが一番の問題なんだけどねえ」<BR>
<BR>
　ミサトのぼそりとした呟きを、リツコは無視して続けた。<BR>
<BR>
「幸い、今回の使徒のコアは独立した形で零号機のごく近くに存在しています」<BR>
<BR>
　ドーム型使徒の断面映像が現れる。ドームの天井部分には、黒いネット状の構造物で周囲を厳重に保護された赤い球体がある。その真下には零号機が両手を大地に突き、正座から少し足を崩したような状態で座り込んでいる。<BR>
<BR>
「ＡＴフィールドが持つ事象遅延効果を利用して、コアを周囲の空間から絶縁できれば、Ｓ２機関は不活性状態に遷移します」<BR>
<BR>
　冬月は考えを巡らすように視線を上に向け、自分の中で情報を整理するように呟いた。<BR>
<BR>
「零号機のＡＴフィールドで、Ｓ２機関からコアを『隔離』するということか。コアを見失った本体内部のＳ２機関は停止し、脅威では無くなるということだな」<BR>
<BR>
　感心したような口振りでミサトが身を乗り出す。<BR>
<BR>
「Ｓ２機関さえ止めれば、後は煮るなり焼くなり好きにできるってわけね……そのフィールドを張る作業、初号機には無理なの？」<BR>
<BR>
「シンジ君には無理よ。これは単純な中和作業とは次元が違うの。ＡＴフィールドの『強度』ではなく、『複雑さ』が要求されるわ。フィールドの展開は、パイロットの『イメージする能力』に深く依存しているの……これだけ言えば分かるわよね」<BR>
<BR>
　リツコの答えに、ミサトは黙り込んだ。半信半疑の表情ながら、反論する材料も見当たらないようだった。<BR>
<BR>
　２人の表情を確認した冬月は、やがて決断を下した。<BR>
<BR>
「よし。まず、赤木君のプランで行く。万一レイが失敗した場合、初号機が使徒を正面から殲滅する。それでいいな、２人とも」<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　冬月がジオフロントのネルフ本部へ戻った後、リツコとマヤは指揮車内で、使徒のコア隔離による影響を確認していた。モニタの上では無数のグラフとシミュレーション映像が流れている。ミサトはその様子を後ろから手持ち無沙汰に眺めていたが、ふと口を開いた。<BR>
<BR>
「ところで、レイが上手くやれる勝算はどれくらいなの」<BR>
<BR>
　マヤが心細げな表情でリツコの横顔を見る。リツコはシミュレーション映像を見据えたまま答えた。<BR>
<BR>
「成功する確率は、零号機がＡＴフィールド形成に費やせる時間に比例して高くなるわ」<BR>
<BR>
「そう……内部電源の残量約３分ってのは、勝ち目のある数字なのかしら？」<BR>
<BR>
　画面の上に新しくウィンドウが開き、様々に条件を変化させた場合のシミュレーション結果がリストとなって表示された。リツコの眼鏡に文字列が映り込む。<BR>
<BR>
　赤で表示された無数の『ＦＡＩＬＵＲＥ』と、その中にぽつぽつと申し訳程度に紛れ込んでいる緑文字の『ＳＵＣＣＥＳＳ』。マヤは唇を噛み締め、微かに潤む瞳をまたリツコに向けた。<BR>
<BR>
「子供達にチャンスをあげるくらい、構わないでしょう」<BR>
<BR>
　静かに呟くリツコの瞳は、眼鏡に反射する映像に遮られ、外からは見えなかった。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　レイは目を閉じていた。<BR>
<BR>
　ＬＣＬの浄化、保温等の最低限の機能へのみ選択的に電力を割いているエントリープラグの内部は、照明も絞られて薄暗く、全方位モニタも今はただの壁になっている。循環装置の低い振動が、シートを通して少女の背に響いていた。<BR>
<BR>
　数分前、レイにリツコから通信が入った。前回の戦いで得られた教訓からコクピットへの常備が決定された簡易携帯通信機が早くも役に立っている。<BR>
<BR>
　通信機からシート脇のコネクタに細いケーブルが伸びている。通信機経由で転送されてきた何枚かのイメージ映像が、レイの目の前に表示されていた。<BR>
<BR>
　リツコの指示を思い返しながら、少女は目を閉じて自分の心の中に複雑なイメージを展開し、これから行なう作戦のイメージトレーニングを始めた。<BR>
<BR>
　作戦中断直前に感じた、使徒のコアの周りの『場』のパターンを思い出す。赤い球体の周りを押し包むイメージでＡＴフィールドを補強する。実際には、おそらくその外側で使徒が展開しているフィールドが、彼女の作業に反応して更に複雑な変化を見せるだろう。その変化に対応して、フィールドを再び組み換え、コアを包む力を増やして行かなければならない。<BR>
<BR>
　９歳の少女が持つ表現能力では、その理由を論理的に説明することはできなかったのだが、心の中だけでこれ以上シミュレーションを続ける事に意味を感じられずにいた。どちらにせよ、いきなり突き付けられたこの難題をクリアできる見込みは薄そうだった。しかし、彼女はその事について不満や不安を感じる事はなかった。失敗した時の事は、指示も説明もされていなかったので、彼女はその先の自分自身について思いを巡らすことも無かった。<BR>
<BR>
　レイは耳にかけた通信用ワイヤレスヘッドセットに指を当て、呼び掛けた。<BR>
<BR>
「赤木博士」<BR>
<BR>
　レイは閉じていた瞳をゆっくりと開いた。その赤い眼差しは静かに前を見つめていた。<BR>
<BR>
「行きます」<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　空は既に暗く翳り、星々がまたたき始めていた。<BR>
<BR>
　巨大な黒い人影が兵装ビルの脇にそびえ立っている。圧倒的な威圧感を持つその影は、彫像のように静止したままだった。今はその両眼の輝きだけが、巨人が単なる置物でないことの証だった。<BR>
<BR>
　初号機エントリープラグの中に戻ったシンジは、文字通り何もせず、何も考えず、ただそこに座っていた。年令相応のあどけない顔だったが、その少年に表情は存在しない。彼の心の内側に何があるのか、あるいは本当に何もないのか、誰も理解することは出来なかった。<BR>
<BR>
　パレットライフルを下げている紫の巨人は、夜になったばかりの第３新東京市の中に立っている。その見つめる向こうには、巨大な黒いドームが兵装ビル屋上に設置された投光機によって照らし出されている。<BR>
<BR>
　少年の瞳は暗く淀んでいる。外からの情報を何一つすくい上げることの無いその意識は、無機的な均一さを保っていた。視界の先に存在している黒いドームも、その内側で虜にされているオレンジ色の巨人も、その中で無謀な戦いを始めようとしている少女の事も、少年の精神を動かす材料にはならなかった。<BR>
<BR>
『シンジ君、射撃用意。私の合図で目標のコアを狙って発砲開始』<BR>
<BR>
　スピーカーから聞こえて来たミサトの命令にシンジは機械的に反応する。ビルの林の間で巨大な人影が滑らかに動き出す。兵装ビルの隙間から初号機がライフルを構えた。電子音と共に照準が中央にセットされた。黒いドームの天頂付近の格子の間から、赤い光が宵闇の中にぼんやりと漏れ出していた。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　薄暗い空間の中で、白いプラグスーツを着た幼い少女の小さな手がてきぱきと動いている。<BR>
<BR>
　レイは訓練された手順通りにパネルを操作し、零号機のシステムをチェックしていた。９歳の子供が扱うことを考慮に入れたデザインの、非常に簡略化されたインタフェースのウィンドウが投影される。ウィンドウから発せられる仄かな光が、少女の顔を照らす。レイは周囲に現れたそれらの情報を見回して、異常が無い事を確認した。<BR>
<BR>
　再びパネルに手を伸ばし、スイッチを２、３度叩く。レイの周りに浮いていたウィンドウが消え、コントロールレバーの脇に、赤字で『ＲＥＡＤＹ』と表示された小さなウィンドウが一つだけ現れた。後はレイがコントロールレバーのスイッチを一つ押すだけで、零号機は再び起動する。<BR>
<BR>
　少女の作業に平行して、通信機からはリツコの指示が聞こえていた。<BR>
<BR>
『カウント０と同時に作戦開始……零号機起動、回路接続。そこから先はあなたのタイミングで動きなさい。内部電源の残量に気を付けてね』<BR>
<BR>
「はい」<BR>
<BR>
『では、カウント６０からスタート』<BR>
<BR>
　耳にかけた通信機からマヤがカウントダウンを読み上げる声が流れ始めた。レイは目を閉じ、呼吸を整えた。少女に恐怖は無かった。使命感や義務感に駆られるわけでもなく、これが自分の役割だということを感覚的に理解し、受け入れるだけだった。<BR>
<BR>
『……３……２……１……０。接続』<BR>
<BR>
　閉じていた瞳を開き、レイはスイッチを押し込む。エントリープラグの中に明るさが戻った。全方位モニタが息を吹き返し、周囲の様子を映し出す。同時に自分の体の外側で、もう一つの体の感覚が甦る。内部電源を表示しているカウンタが目まぐるしい速さで減りはじめる。<BR>
<BR>
　レイは上を見上げ、黒い格子の向こう側から漏れる赤い光に意識を集中する。<BR>
<BR>
　使徒は極めて複雑な『場』を展開していた。その複雑さはコアに近付く程高まり、その緻密さは人間の知覚の限界を超えていた。レイはその事実に動じることも無く、命令通りにＡＴフィールドの展開を開始した。<BR>
<BR>
　使徒が展開しているＡＴフィールドの網を潜り抜けるように、レイが巧みに零号機のフィールドを溶け込ませる。無数の針の穴に、同時に糸を通していくような作業だった。コアの周囲を静かに、気付かれぬよう素早く絶対の障壁で囲っていく。極限の精神集中が少女の瞳を澄み渡らせていった。<BR>
<BR>
　レイのイメージの中、格子の向こうに匿われているコアが徐々に、零号機の生み出したＡＴフィールドによって包まれて行く。それは床の上に砂を一粒ずつ敷き詰めるような、もどかしく小さなプロセスの積み上げだった。しかし、レイはこれ以上無いほどの注意をもって１ステップずつ確実に、慎重に進めていった。<BR>
<BR>
　指揮車の中では、レイと使徒の間で行なわれている静かな騙しあいの様子を息を詰めて見守っていた。マヤが緊張した声で報告する。<BR>
<BR>
「零号機内部電源、残り１５０秒」<BR>
<BR>
　レイの指先がぴくりと震えた。<BR>
<BR>
　自分が展開しているＡＴフィールドの端が、使徒が巡らしているそれに触った。微かな接触だったが、それは使徒が反応を起こすには十分すぎる刺激だった。それまで静的な状態を保っていた使徒のフィールドがうねり出し、そのパターンを変化させ始めた。それは、レイが今まで気の遠くなるような集中力で織り上げて来たＡＴフィールドの界面をあっさりと侵食し、握りつぶした。<BR>
<BR>
　マヤとリツコが見つめる端末モニタに映っている複雑な干渉波形の振幅が、あっという間に小さくなっていった。それぞれの波のピーク部分に矢印と短い数式がコメントとして表示される。<BR>
<BR>
「目標、ＡＴフィールド変化。使徒が逆位相にフィールドを展開、相殺しています」<BR>
<BR>
　絞り出すようなマヤの口調に、ミサトは状況が芳しく無いことを理解した。リツコの声にも焦燥が色濃く出始めた。<BR>
<BR>
「気付かれてるわ……」<BR>
<BR>
　集中力の全てを費やして組み上げた物がいとも簡単に水泡に帰した事実に、レイは何の感情も見せなかった。少女は再び根気強く『場』の知覚と展開を始めた。追い込まれつつある状況の中、レイは徐々に自分の感覚が極彩色に塗りたくられていくのを感じた。<BR>
<BR>
　視覚、聴覚、嗅覚が互いに判別不可能な等価な情報として意識の中に流れ込んできた。全てが混ぜ合わされた世界がレイの中を埋め尽くしていく。<BR>
<BR>
　センサーが捉えた、使徒と零号機の間で行なわれているＡＴフィールドのせめぎ合いが、リツコ達が見つめるモニタの上で３次元映像として描写されている。その映像は、レイが実際に知覚している『場』の本質を表現するには余りに簡素で擬似的な物だったが、チルドレンならぬ大人達の感覚では、その近似的な情報以外に状況を知る術はなかった。<BR>
<BR>
　画面の上で目まぐるしく移り変わっているデータの流れを理解する方法を知らないミサトが日向に訊ねた。<BR>
<BR>
「使徒のＳ２機関は？」<BR>
<BR>
「健在です。変化ありません」<BR>
<BR>
　ミサトはアゴの下に手を当ててモニタに映る初号機を見つめる。初号機は夜空を背にしてライフルを構えたまま、じっとしている。ミサトは視線を初号機に向けたまま、顔をゆっくりと上下左右に振り、考え込むように唇をへの字に結んだ。マヤが内心の動揺を必死に抑えて報告する。<BR>
<BR>
「残り１２０秒です」<BR>
<BR>
　レイの両手はコントロールレバーから離れかけていた。少女の肉体は完全なリラックス状態を保ち、ＬＣＬの中をゆったりと漂いかけている。頭は力無く項垂れ、視線はあてもなく彷徨い、忘我する表情は心を映す用を果たしていなかった。今のレイに体は不要だった。既に五感から入る情報は彼女の意識に影響を与えていない。神秘体験に近いモードに突入しているレイは、肉体から来る殆どの感覚を無意識に遮断していた。<BR>
<BR>
　少女の精神はどこまでも加速されていった。零号機から生み出されるＡＴフィールドの複雑さが一気に上昇した。<BR>
<BR>
　レイが超人的な速度と正確さで無数に形成、維持しているＡＴフィールドのネットワークは、彼女の心の一部となっていた。ＡＴフィールドの枝の末端同士が起こす相互作用は、彼女の精神の鏡像であり、単純ではあるが独立した自我と呼べるレベルにまで複雑化していた。<BR>
<BR>
　レイのＡＴフィールドが組み上げた超網構造は、少女の心、意志を体現する原始的な『生命』として、活き活きと脈動を始める。<BR>
<BR>
　その息吹きに使徒は迅速に反応する。複雑な構造のＡＴフィールドを手足のように操る使徒が他者の存在を認識し、再び相手を呑み込み嚥下すべく動き始める。<BR>
<BR>
　ＡＴフィールドの枝から成る２つの巨大なネットワークが互いを探り合い、あるいは消し去り、あるいはその裏を突こうとする。レイがわずかに押し込めば、その隙間を埋めるように使徒が応じる。互いの力は均衡し、決定的な勝敗を確定するまでには到らない。<BR>
<BR>
　レイの首がぎこちなく震え、閉じかけた瞳が赤く充血して行く。その小さく細い指先が痙攣を始めた。その瞬間、レイの意識が更に上の段階に押し上げられ、ＡＴフィールド展開の速度と複雑さが使徒のそれを上回った。<BR>
<BR>
　一瞬の隙を突き、明瞭な輝きを放つ使徒のコアの周囲にレイがＡＴフィールドの網を伸ばした。使徒の抵抗を受け流しながら、レイの精神は速やかにコアを包み込んで行く。しかし、使徒も底なしの能力を発揮する。少女の攻めは次第に勢いを失って行き、再び２つのフィールドの境界は平衡状態を取り戻した。<BR>
<BR>
　そして大人達も科学の目を通して、レイと使徒の戦いを不完全ながら認識していた。マヤが額に汗を滲ませながら必死にこの人智を超えた攻防を把握すべく、キーを叩く。彼女の目が小さな希望を見つけわずかに輝いたが、それはすぐに翳った。<BR>
<BR>
「使徒Ｓ２機関、活性低下始まりました……あ、いえ、変動停止……ダメです、使徒のフィールド変化速度を十分に上回ることができません！」<BR>
<BR>
　端末モニタ上、レイの肉体内部の情報をリアルタイムに示すグラフの多くは、狂ったように激しく波打っていた。いくつかのラインは計測範囲を逸脱し、画面の上下端を完全に振り切っている。日向が強張った声を上げた。<BR>
<BR>
「しかし、今のファーストチルドレンはヒト脳のほぼ限界を引き出しているはずです！理論的にこれ以上は……」<BR>
<BR>
「残り９０秒！」<BR>
<BR>
　マヤが噛み締めた歯の間から息が漏れる。リツコが唇を噛み、呟いた。<BR>
<BR>
「レイ……」<BR>
<BR>
　ミサトは前に踏み出し、リツコの肩にそっと手をかけた。リツコは怯えを帯びた目でミサトを見た。<BR>
<BR>
　ミサトははっきりとした声で言った。<BR>
<BR>
「シンジ君。目標に接近しつつ、ＡＴフィールド中和開始」<BR>
<BR>
「待って！ミサト！」<BR>
<BR>
「時間切れよ、リツコ。使徒が零号機に注意を向けている今がチャンスなの。地上スタッフは爆発の衝撃に備えて。今朝の地震が可愛く思える位ヘビーなのが来るわよ」<BR>
<BR>
　ミサトの言葉の後半は作業員への通信回線に向けられた物だった。次いで、彼女は音声回線だけで繋がっているはずのレイに呼び掛ける。<BR>
<BR>
「レイ、聞こえる？作戦中止、ＡＴフィールドは零号機の防御に回しなさい。今から初号機で使徒を破壊するから、爆発に備えて……レイ？応答しなさい」<BR>
<BR>
　日向が独自の判断でキーを叩き、レイのプラグスーツに備え付けられている数種類の薬物投与ユニットを遠隔操作で起動する。エントリープラグ内で脱力しているレイの体が連続して痙攣した。しかし、計測され続けているレイの生体情報は、少女の意識が外部からの刺激を受け付けないことを示していた。日向の声が上ずった。<BR>
<BR>
「ダメです、今のファーストの精神状態では音声による命令は認識出来ません！」<BR>
<BR>
　震え出す指を精神力で抑え付けて、懸命にオペレートを続けていたマヤが声を上げる。<BR>
<BR>
「零号機の周囲にＡＴフィールドは無展開です。今、使徒を破壊したら」<BR>
<BR>
「そう……残念ね」<BR>
<BR>
　無感動にミサトが答える。リツコは黙り込んだまま、指揮車と零号機を繋ぐ『ＳＯＵＮＤ　ＯＮＬＹ』のウィンドウを見つめていた。<BR>
<BR>
　夜のビル街に立っていた初号機はミサトの命令に即座に従い、その巨体を走らせ始めた。ＡＴフィールド中和に意識のリソースを割く分、初号機の動きがやや緩慢になっているが、巨人は行く手にそびえるドームに向けて確実に歩みを進めていた。わずかに前傾姿勢となった初号機が、林立するビルの合間を縫って行く。<BR>
<BR>
　ドームに接近するにつれ、シンジが認識する使徒のＡＴフィールドは増していく。フィールドを中和する為にシンジにかかる負荷が増え、初号機の運動制御に振り向けられる意識も目減りする。初号機の挙動は徐々に緩やかになっていった。<BR>
<BR>
　初号機の動きが駆け足から早歩きにまで落ちた時、シンジは自分が中和しているＡＴフィールドの一部に不均質なパターンを知覚した。しかし、彼はそのパターンに何かの意味を見い出すことなく、いつもと同じ手順でそのパターンの向こうへ自らのフィールドを乱暴に突き入れた。<BR>
<BR>
　その異質なパターンが少女の心の一部であることを少年は知らず、例え説明されたとしても彼が『心』を理解することはできなかった。<BR>
<BR>
　レイは加速された心の片隅に何かが入り込んで来るのを感じた。半眼だった赤い瞳に力が戻り、感情の光が仄かに宿る。頭がぴくりと動き、その『何か』の方向に向きかける。絶対的な集中を妨げる異物に、レイは本能的な嫌悪感を抱いた。<BR>
<BR>
　思考と行動が完全に同期しているレイの唇が震えるように動いた。<BR>
<BR>
『……いで』<BR>
<BR>
　皆が聞き逃したあまりに小さいその声を知覚できたのは、少年だけだった。<BR>
<BR>
　初号機が、ふいにその歩みを止めた。<BR>
<BR>
　それが観測カメラやモニタの異常等で無い事は、静止した初号機の足元で惰性によって波打つアンビリカルケーブルの映像が証明していた。戸惑うミサトが日向とマヤを交互に見下ろす。２人が端末を操作する速度が目に見えて上がった。不審がその表情にも現れている。<BR>
<BR>
　何らかのトラブルの発生を認識したミサトは、オペレーターの報告を待つこと無く少年に呼び掛けた。<BR>
<BR>
「シンジ君？前進しなさい」<BR>
<BR>
　初号機はパレットライフルを腰の位置に保持したまま、片足を踏み出した姿勢で止まっていた。<BR>
<BR>
　絶対的な強制力を持っているはずのミサトの命令にも、初号機は全く反応しない。モニタに表示されているシンジの表情は誰もが見慣れた無機質な物だった。シンジの視線は正面の黒いドームに固定されている。少年の中の何が初号機の歩みを止まらせたのか誰も理解できなかった。<BR>
<BR>
　ミサトは確認するように、再びゆっくりと呼び掛けた。その声に微かな困惑が混じり始めていた。<BR>
<BR>
「シンジ君、命令よ。前進しなさい。シンジ君？」<BR>
<BR>
　夜のビル街を背景にした初号機はその場から動く気配を全く見せようとしなかった。<BR>
<BR>
「零号機、活動限界まで６０秒！」<BR>
<BR>
「初号機はどうしたの！？」<BR>
<BR>
　ミサトが苛立つ。零号機の内部電源が切れかかっている事よりも、シンジがミサトの命令に従わない事実の方が、彼女に取っては問題だった。零号機とレイを失う事はどうでも良かったが、ミサトの支配力からシンジが外れるという事は、彼女の中の全ての前提が完全に覆されることを意味していた。<BR>
<BR>
　シンジがミサトに対して不服従の態度を見せる事は、ネルフに置けるミサト自身の存在価値を揺るがせる事に他ならなかった。それは、ネルフにとって目障りな人物である、『葛城ミサト』の命が危機に晒される事でもあった。<BR>
<BR>
　仮にこの戦闘に勝利しても、何かの理由でシンジがミサトの命令に従わなくなれば、ネルフがミサトの『処分』を躊躇する材料は消える、と彼女は知っていた。<BR>
<BR>
「シンジ君！前進しなさい！命令よ！シンジ君！」<BR>
<BR>
　シンジへの呼び掛けを続けながら、ミサトは２つの作戦を同時に立案実行するために、頭脳を回転させ始めた。人類の存亡を賭けたこの戦いで勝利する策と、自分がこの場所から如何に逃げ出すかという策。第３新東京市からネルフの目を欺いて脱出するルートは以前からいくつか考えていた。<BR>
<BR>
　記憶の中でリツコとオペレーター達の武装をチェックし、効率的にこの場所から去る為の退路を確認する。指揮車の内部を素早く見回した際、車内から外に通じるドアの脇に目が止まった。そこに見覚えのあるダークスーツの男達が４人控えている事に気付いたミサトは、自分の甘さを悔んだ。使徒との戦闘という飛び切りの非常時だからこそ、自分に監視が付けられていて当然だと思い到った。<BR>
<BR>
（司令達の指示か。考慮すべきだったわ）<BR>
<BR>
　ミサトは不承不承、目の前の戦闘にだけ集中することにした。<BR>
<BR>
「通信回線その他、異常ありません……初号機はパイロットの制御下にあります！」<BR>
<BR>
　日向がミサトを不安な顔で見る。彼も何かしら気付いているのかしら、とミサトは思った。何かを心に決めた表情で、突然リツコがシンジに呼び掛けた。<BR>
<BR>
「シンジ君、聞こえる？そこから『後退』して。これは命令です」<BR>
<BR>
　越権行為とも言えるリツコの行動にミサトは不快な表情を見せたが、止める理由も思い付かなかった。もしシンジがリツコの指示に従う行動を見せたならば、それがミサトの破滅の時だった。<BR>
<BR>
　リツコの声は確実にシンジの耳に届いていた。しかしシンジの表情は変わらず、初号機もまた立ち止まったまま動こうとはしない。少年の目は使徒に釘付けになっていたが、彼が何かの行動を起こす事は無かった。<BR>
<BR>
　リツコは諦めることなく何度もシンジに呼び掛け続けていたが、紫の巨人は魔法にでもかかったようにその動きを止めていた。<BR>
<BR>
　確実に戦況は悪化していた。零号機とレイは使徒のＳ２機関を無力化すべく全力を向けているが、間もなく内部電源が切れてただの人形となる。初号機はシステムそのものに問題は無いが、肝心のパイロットが突然原因不明の戦闘忌避行動を起こしている。地表からジオフロントに侵入するため、巨大な縦穴を穿とうとしている使徒の根は、間もなくその使命を達成しようとしている。作戦を立て直す時間も、戦力も尽きかけていた。<BR>
<BR>
　シンジに呼び掛けを続けていたリツコが、とうとう黙り込んだ。リツコとミサトの視線が合った。選択の余地が無いのは分かっていた。ミサトは諦め半分の表情で、再びシンジに呼び掛けようと息を吸い込んだ。その時、オペレーター各人の作業の空白時間が一瞬重なり、騒がしかった指揮車の中がふいに沈黙に包まれた。<BR>
<BR>
　その偶然の沈黙のおかげで、今度はミサト達にもはっきりと聞こえた。<BR>
<BR>
　スピーカーの向こうから聞こえる、小さな、そして消え入りそうな声だった。<BR>
<BR>
『碇くん』<BR>
<BR>
　ミサトとリツコが、はっとスピーカーを見上げる。日向とマヤも一瞬手を止めた。その声には、聞く者の心を捉える力があった。<BR>
<BR>
　日向が慌てて端末を操作し、その声の出所を確認する。だが、その声の主が誰なのか、確認するまでもなく皆が分かっていた。<BR>
<BR>
「零号機から初号機へ通信回線開いています！」<BR>
<BR>
　初号機のエントリープラグの中で、シンジはその声を聞いていた。シンジの左手元に音声回線が開いたことを示すウィンドウが投影されている。低いノイズの唸りが、スピーカーから漏れて来ている。声は確かにそこから聞こえて来た。<BR>
<BR>
『こないで……碇くん……こないで……』<BR>
<BR>
　外見上、シンジがその声に反応している様子は無かった。シンジの意識は間違い無く正面のドーム型使徒に向けられている。シンジの精神は、自分の中で人為的に構築されたある対象物リストを参照した。そのリストのトップにある存在から発せられた指示を、シンジは実行しようとしていた。その存在が下した指示を実行する事は、少年の精神深くに植え付けられた衝動であった。それを妨げる事は何物にも出来ないはずであり、事実この瞬間まではその通りだった。<BR>
<BR>
　しかし今、少年の精神は、２つの衝動の衝突によって一時的に凍り付いていた。<BR>
<BR>
　命令に従おうとする衝動と、それに反する命令に従おうとする衝動。正反対の概念が、少年の機械的な精神の歯車にくさびを打ち込んでいた。少年の精神の全ては、理性という名の明文化された規定に支配されている。その規定から逸れる行動を、この少年は取る事ができないはずだった。<BR>
<BR>
　感情や心の存在しない少年の精神が、説明できない理由で麻痺を起こしていた。<BR>
<BR>
　上体を地面に突いて支えている零号機の両腕から、少しずつ力が抜け始めた。倒れ込もうとするオレンジ色の体を、震える腕が何とか保持している。<BR>
<BR>
「零号機、機体出力が乱れ始めました！内部電源がもう……」<BR>
<BR>
　ミサトは、自分の口に指を当てて考え込んだ。零号機が活動停止に陥ったとしてもそれは問題ではない。初号機はとりあえず健在なのだから、時間制限はあるもののじっくりと使徒を攻略する暇はある。<BR>
<BR>
　だが、ミサトには一つ確認しなければならない事があった。<BR>
<BR>
『碇くん……こないで』<BR>
<BR>
（シンジ君は、私よりレイの言葉を優先してる……？）<BR>
<BR>
　その仮説は正しそうに思えた。だが、それはミサトにとって不利な方向に働く要素にも思えた。レイがシンジに対してミサト以上の支配力を有しているのなら、ネルフにおけるミサトの価値は低くなるだろう。<BR>
<BR>
『こないで……こないで……』<BR>
<BR>
　今ここで、レイを『消す』のはそれ程難しくはなさそうだった。このまま放っておけば零号機は勝手に止まる。その後で使徒を倒せば、リツコの予想通り使徒のＳ２機関の爆発でレイも間違いなく死ぬ。そうすれば、ミサトよりも強い支配力をシンジに行使できる人間が確実に１人減る。それはミサトにとって有利な状況なのは確かだった。使徒を倒せないという最悪の結果もあり得るが、その時は皆が死ぬだけだった。<BR>
<BR>
　レイが死ねば、ミサトも責任は追求されるだろうが、言い逃れる自信はあった。ミサトがシンジをコントロールできる貴重な人間、というアドバンテージは駆け引きのカードとして力がある。<BR>
<BR>
　しかし、拒絶の言葉を呻き続ける少女を殺そうとする自分の行為に、ミサトは罪悪感では無く、『違和感』を持った。<BR>
<BR>
（『拒絶』……？壁……ＡＴフィールド……『イメージする能力』、か）<BR>
<BR>
　リツコがスピーカーを見つめながら、呆然と呟く。<BR>
<BR>
「レイ……」<BR>
<BR>
『こないで……』<BR>
<BR>
「零号機ＡＴフィールド、強度は上がっていますが、指向性が全くありません！完全に使徒に相殺されています！」<BR>
<BR>
「ファーストチルドレン、自我パルス低下！脳内活性、危険域に入ります！」<BR>
<BR>
「残り３０秒！」<BR>
<BR>
（レイが……シンジ君を拒絶してる？……それなら）<BR>
<BR>
　ミサトは自分の直感を信じる事にした。<BR>
<BR>
　ネルフのように巨大な組織を相手にするような場合、状況をより複雑にする方向を選ぶべきだとミサトは考えていた。自分が圧倒的に不利な状況では、『混乱』は味方になる。敵が巨大な程その効果は一層高まる。選択肢の幅が広がるし、細かい事を抜きにしてもその方が『楽しい』事をミサトは知っていた。ミサトの目が子供のように輝きだし、口元に思わず笑みが浮かんだ。<BR>
<BR>
「零号機から初号機方向への通信カット。出来るわね？」<BR>
<BR>
　ミサトの気楽な口調に面喰らいつつ、日向が答える。<BR>
<BR>
「え、ええ」<BR>
<BR>
「じゃ、お願い」<BR>
<BR>
「りょ、了解」<BR>
<BR>
　初号機の中、シンジの手元に投影されていた通信ウィンドウが消える。うわ言のように流れ続けていた少女の言葉も同時に消えた。<BR>
<BR>
「シンジ君。ＡＴフィールド中和と同時に目標に接近しなさい。発砲する必要は無し。これは『命令』よ」<BR>
<BR>
　皆が息を呑んでモニターを見守る中、ミサトの表情だけが生き生きとしていた。何かを察した表情になったリツコが、ミサトの楽しげな横顔をちらりと見た。<BR>
<BR>
　一瞬の間を置いて、初号機は再び歩き出した。リツコは何か言いたげな視線をミサトに向けたが、すぐにモニタに目を戻した。初号機は今までの硬直が嘘のように滑らかな動きだった。猫のように淀み無い動きと共に、初号機は黒いドームに接近していった。<BR>
<BR>
　穏やかな微笑みはそのままに、ミサトの視線が鋭くなる。<BR>
<BR>
　シンジはその暗い瞳を正面に向け、ひたすら紫の巨人を前へ前へと進めていた。<BR>
<BR>
『ダメ……こないで……』<BR>
<BR>
　指揮車のスピーカーから振り絞るようなレイの声が聞こえて来たが、それは最早少年の行動を妨げる要素にはなり得なかった。<BR>
<BR>
　使徒のＡＴフィールドはドームの外側にも広く展開されていた。初号機は、使徒が展開しているフィールドを力任せにこじ開けていった。使徒とレイが互いのフィールドを触れ合わせている境界面に、初号機が踏み込んだ。<BR>
<BR>
　レイの体が小さく震えた。少女の心は乱れていた。先ほどまで使徒と互角の攻防を続けていたＡＴフィールドの集合もその勢いを失っている。少女の心を覆って行く感情の冷たさが、そのままＡＴフィールドの形を借りて顕現しているようだった。<BR>
<BR>
　レイの小さな唇から繰り返される言葉は途切れることなく続いていた。<BR>
<BR>
『こないで』<BR>
<BR>
「残り１０秒！」<BR>
<BR>
　シンジは命令を実行し続ける。初号機は、目の前に満ち満ちている拒絶の意志の中に、何の躊躇いも無く足を一歩一歩踏み入れる。ドーム型使徒を形作っている黒い格子の一つ一つが視認できるまでに接近していた。見えない壁からの圧力を知覚しながら、シンジは初号機を反射的に操る。シンジの機械的な精神は、周囲の環境に即座に反応し、最適とされる行動を選択して行く。抽象概念の入出力を積み重ねた巧妙なプログラムとも言えるシンジの振舞い。それはシンジ自身の『心』や『意志』による結果だと周囲に錯覚させるほど複雑な物だった。<BR>
<BR>
　累々と転がる瓦礫を踏み壊しながら、初号機は黙々とその足を前に運び続けていた。<BR>
<BR>
　零号機のエントリープラグの中では、少女がその小さな体を丸めていた。レイは自分の中に押入って来る物を感じていた。使徒、エヴァ、パイロットとしての自分の任務といった物は既に忘れ去っていた。より正確に言うならば、彼女の意識は一時的に大きな変容を遂げ、具体的な事象を理解する能力が失われていた。<BR>
<BR>
　綾波レイの心を構成していた何かは、今ではＡＴフィールドという『感覚器』を通してしか外界と自己を認識できないシステムへと変わっていた。レイは、誰にも開ける事の出来ないはずの絶対領域を易々と乗り越えて自分に触れようとしている、自分に似た他者の存在を感じていた。<BR>
<BR>
　心の中から高次の機能を失っていたレイは、純粋な嫌悪感によって、その他者をやはり純粋な意志で拒絶した。<BR>
<BR>
　極大にまで膨らんだ『拒絶する意志』が、零号機の展開するＡＴフィールドの隅々にまで行き渡る。蹂躙の限りを尽くしていた使徒のＡＴフィールドが、相手の微妙な変化を感じ取り、その動きを鈍らせた。<BR>
<BR>
　零号機から生み出されているＡＴフィールドが再び複雑な構造を組み上げ始めた。ＡＴフィールドが作る網構造の末端間の空間が唐突に歪み、そこから更に新たな位相空間の枝が出現する。生み出された枝が別の枝と相互作用を起こし、再び新しい枝を発生させる。指数関数的な速度でネットワークが増殖、組織化されていく。今までとは比較にならない程の速度で絶対領域を展開するレイは、使徒を完全に圧倒していた。<BR>
<BR>
　その様子をモニタしているマヤが信じられないといった表情で声を高ぶらせた。<BR>
<BR>
「零号機ＡＴフィールド、再帰干渉モードに入ります！」<BR>
<BR>
　モニタの中で三次元表示されたＡＴフィールドのイメージが、零号機の固有パターンで埋め尽くされて行く。マヤの椅子の背もたれを握りしめているリツコの指に力が入る。<BR>
<BR>
「この出力で！？有り得ないわ……」<BR>
<BR>
『こないで』<BR>
<BR>
「７……６……５……」<BR>
<BR>
　リツコが見つめる中、グラフウィンドウの中で激しくせめぎあっていた２つの波形の内、一方の振幅が徐々に小さくなっていった。<BR>
<BR>
　同時に、ドーム型使徒表面の格子の間から漏れている赤い光が弱々しくなっていく。初号機はあと数歩で使徒に接触するまでに近付いていた。シンジは使徒のコアの変化を認識したが、その現象は不必要な情報としてシンジの意識の表面で振るい落とされ、少年の行動に影響を与えることは無かった。<BR>
<BR>
「使徒Ｓ２機関、不活性状態に遷移！いけます！」<BR>
<BR>
　マヤの声をきっかけに、ミサトは即座に命令した。ここまで上手く行くとは思っていなかったミサトは逆に戸惑いかけていた。しかし、自分の幸運を誇るのを後回しにするだけの分別は残っていた。<BR>
<BR>
「シンジ君、目標に発ぽ……」<BR>
<BR>
『こないで』<BR>
<BR>
　心無しか、力のこもった声だとミサトはその時感じた。<BR>
<BR>
　マヤが操作する端末のモニタに映るウィンドウの一つに、零号機のＡＴフィールドの観測結果が三次元イメージで表示されている。それが一瞬で白く塗りつぶされた。マヤはそれをセンサーの故障だと思ったが、光学カメラから中継されている映像を見てその考えが誤っている事を知った。<BR>
<BR>
　夜空と第３新東京市のビル街を背景にして、無数のオレンジ色に輝く壁が垂直にそそり立っていた。高さも面の方向もまちまちだったが、その輝きはどれも等しい明るさを持っていた。<BR>
<BR>
　零号機が周囲に発生させた無数のＡＴフィールドは、オレンジ色の光で作られた巨大な霜柱を見ているようだった。それらの光の壁は使徒の体の至る所を垂直に貫き、切断していた。<BR>
<BR>
　その幻想的な光景は一瞬で消えたが、それを見た者の心には鮮明に焼き付いた。<BR>
<BR>
　ＡＴフィールドの光が消えると、零号機の上で何か硬い物が当たる音がした。無限に近い薄さを持つ位相空間の一つに両断された使徒のコアが２つの半球体となっていた。一瞬前までコアを保護していた黒い格子のカゴの中で、それらは互いにぶつかり合いながらゆらゆら揺れていた。その揺れが止まるのと同時に、コアから発せられていた赤く弱い光は完全に消滅した。<BR>
<BR>
　あと一歩踏み込めば使徒にぶつかるという位置で、シンジは初号機の歩みを止めていた。目の前にある物が既に『目標』では無いことを認識していた。ふと、初号機の腕にかかっている負荷が軽くなっているのを感じた。その原因を求める為、少年は機械的に視線を落とした。<BR>
<BR>
　初号機が構えるパレットライフルの先端が切り落とされて、地面に転がっていた。切断面にオレンジ色の光の粒子がまとわりついていたが、それもすぐに消滅した。シンジは何事も無かったように視線を正面に戻し、次の指示を待った。<BR>
<BR>
　指揮車の内部では、ほとんどのスタッフが目の前の出来事に茫然としていた。しかし、日向はミサト、マヤはリツコが自分を見つめる視線にそれぞれ気付き、慌ててモニタに目を戻しオペレートを再開した。<BR>
<BR>
「零号機、活動停止」<BR>
<BR>
「ぱ、パターン消滅……目標は完全に沈黙しました」<BR>
<BR>
　オペレーター達の間にため息が広がり、空気が和らいだ。車内に活発な喧噪が一気に戻って来た。皆、自分のやるべき作業をてきぱきと片付けて行く。<BR>
<BR>
　ミサトとリツコは少しの間視線を合わせていたが、すぐに互いの領分の仕事をこなすべくそれぞれの持ち場に戻った。<BR>
<BR>
<BR>
<CENTER>──────────</CENTER><BR>
<BR>
　内部電源を完全に使い切った零号機のエントリープラグ内部は、蓄光材料を含ませた内壁からの発光によって、ぼんやりとした明るさが保たれていた。<BR>
<BR>
　レイはシートの上で体を小さく丸めていた。<BR>
<BR>
　自分が『綾波レイ』に戻っていくのを感じていた。自分の心が少しずつ感覚を取り戻し始めているのが分かった。知覚の中に光が戻って来る。久しぶりに自分の体を見つめる気分だった。耳につけたままの通信用ヘッドセットの感触も思い出し、そこから指揮車内部のざわめきが音として認識できることを確かめた。<BR>
<BR>
　聞き覚えのある女性の声が自分に呼び掛けている気がしたが、少女は強い眠気に襲われ、そのまま目を閉じた。<BR>
<BR>
　レイは、誰にも邪魔をされない眠りの中で、夢も見ずに過ごせるようにと願った。<BR>
<BR>
<BR>
</TD></TR></TABLE></CENTER>
<HR>

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</BODY></HTML>